・SFパロ台牧
・2013年ぐらいに書いてたっぽい
・あと1万字ぐらい書けば完結したはずなんだけど、途中で休憩しちゃって、今の実力と差がついちゃって、続きを書けなくなったので供養上げ。結末まではストーリーちゃんと考えてた
・推敲してないので文章恥ずかしいことになっている

以上の注意に納得された方のみ続きからどうぞ
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 二月十四日の今日は、恋人同士である僕達にとってそれなりに意味のある一日だ。特に今年は日曜日、あっさりと過ごすにはもったいない。僕達はデートをすることにした。ミルクチョコレートほどではなくとも、ビターチョコレートぐらいには甘いバレンタインデートだ!
 午前中に掃除をしていると遅れてウルフウッドが眼を覚ました。まだ眠そうに剣呑な目つきをして、髪を寝ぐせであらゆる方向に跳ねさせたままキッチンへ直行した。寝るか殺すかしか知らないような表情で冷蔵庫のドアを開け、食材を取り出し、無言でフライパンを振るう。掃除を終えリビングで待っていると、自分の分と僕の分の二皿のチャーハンをテーブルにどんっと置いた。いただきますと挨拶をして向い合って食べる。その頃にはウルフウッドはだいぶ眼を覚ましていた。大きく口を開けて咀嚼している。
「今日何時やったっけ」
「駅に十二時半だよ」
「もうすぐやん」
 ウルフウッドはお米を一粒も残さずに完食すると自分の皿をシンクへ持って行き洗った。そしてリビングを出て行く。寝癖を直すのだろう。僕も遅れて完食し、皿を洗って着替える。髪型を整えていると、先に行っとるでと身支度を終えたウルフウッドは一足早く家を出た。
 僕達は一緒に暮らしているからデートと言ってもあまり新鮮味はない。そこでどうしたかというと、ばらばらに家を出ることにした。最寄り駅で待ち合わせするのだ。それにどれほどの意味があるのかって周囲の人間は思うかもしれないけれど気分が浮き立つのだ。人混みの中から好きな人を捜すのは心踊る。一緒に暮らす前にはよくこうしていたことを思い出すのだ。売店や近くの書店で時間を潰していると簡単には見つけられないこともある。あちこち歩いたり、相手が何を考えて行動しているか予測して捜すのはデートの気分を盛り上げる。直接言葉では禁止していないけれど、いつの間にかメールを使うのはルール違反という流れになっていた。効率的であることが最善とは限らないのだ。ウルフウッドは面倒事は嫌いなはずだけれど、始終ベッタリするという性格でもないので自由に行動できるのが気に入っているみたいだ。
 僕も姿見の前でデート服の確認をして家を出た。ウルフウッドは早足だからとっくに駅に着いているだろう。行き先は告げていないから先に電車に乗っていることはないはずだ。以前に一度告げたら僕を待たずに電車に乗って現地集合になってしまったことがあり、大いに憤慨したことがある。家を出るのは別々なのになんで現地集合は怒るのか理解してくれなかったが、電車移動は一緒にすること、とだけ認識してくれたようで、痺れを切らさなければ待ってくれるようになった。僕も教えないという手段をとることによってバランスが取れている。
 駅に着き、改札の辺りを窺うがウルフウッドの姿は見当たらなかった。売店と煙草の自販機の周辺、喫煙所まで足を伸ばしたがいなかった。どうやら長期戦を挑んできているらしい。腰に両手を当てて鼻から息を吐く。あの男はときおり子供っぽいイタズラをして喜ぶのだ。こうなったらとことん付き合ってやろうじゃないか! と体を反転させたとき、すぐ目の前に、いた。
「うわぁぁぁ」
「オンドレ鈍いなぁ。嗅覚死んでるんちゃうの」
「いつからいたのさ!」
 ウルフウッドは呆れ顔だが、気配を消していたに違いないのだ。でなければ流石に僕だって気付く。面白がってぴったりと後をくっついていたなんて悪趣味だ。頬をむれさせるとウルフウッドは楽しそうに笑う。いつになく眉毛は穏やかなカーブを描いて、細まった目尻はガキ大将みたいに釣り上がって、びっくりするぐらい屈託なく笑うのだ。昔は愛想がいいだけの営業スマイルか毒づくような態度ばかりでちっとも笑わなかったから、こういう笑顔が見られると純粋に嬉しい。怒りなんてどこかに吹き飛んでしまって、一緒になって笑う。
「普通の人はそんなに嗅覚良くないんだよ」
「嘘やぁ。鼻詰まっとるだけやってそれ」
 改札をくぐり、二人並んで駅のホームに立つ。タイミングがよかったようで上り電車はすぐにやってきた。一緒に乗り込む。休日なだけあって車内はそれなりに混んでおり座れそうになかった。つり革を握って向かい合う。姿勢と声を改め、今日のプランを初めて発表する。
「今日はキミの洋服を買いに行きます」
「服ぅ? 服なんてなんでもええやん」
「ダメ! デート服だからダメ!」
 ウルフウッドは服に頓着しなかった。営業という仕事柄、スーツにネクタイは必須の格好だ。始めはどこで見つけたのか、一枚千円しないワイシャツを買い込んで着ていた。しかし靴下よりも早く穴が空くとかで、多少は値段のするものを選ぶようになった。値段と質を天秤にかけ、彼なりにバランスが取れる位置を見つけたようだ。スーツも舐められないようにとそこそこ上等な代物を三着ほど持っている。ウルフウッドが自主的にこだわって選ぶ服はこの程度だ。私服は穴が空かなければいいとかで、ちっともおしゃれをする気がない。子供の頃はおさがりばかりだったそうだから、新品で買えれば充分なんだそうだ。だが夜用に愛らしくもセクシーな服を買ってくれば怒涛のクレームが飛んで来る。解せなかった。
 目的の駅に着き、多くの乗客と一緒に降りる。そのまま駅近くのショッピングビルに入った。店内はどこもかしこもピンク色のハートだらけで、バレンタインの文字が踊っている。外は寒いが、店内は暑いぐらいだ。空調以外にも温度を上げている熱源がありそうだ。
「やっぱりカップルのお客さんが多いねぇ」
「そうかぁ?」
 ウルフウッドはまったく興味を持ってくれなかった。残念だが想定内だ。
 レディースファッションのフロアを抜け、メンズフロアを目指す。そちらなら多少は人は少ないかと予想したがそんなことはなかった。みな考えることは同じらしい。とりあえず手近な店の商品を眺める。
「どんな服がいい?」
「安いんでええよ」
「やっぱり春服がいいかな。新作だしね」
「こっちに冬のセールあるやん」
 僕の意に反するコーナーへ行こうとする腕を抑え、まだ少しはやい衣類を見繕う。彼はモノトーンの服を好むが、春ぐらいは色を取り入れてもいいのではないだろうか。寒色の方が似合うが、せめて緑ぐらいの明るさを着せたい。
 爽やかな若草色のジレを取り、ウルフウッドの胸に当てた。予想していたよりも似合っているのではないだろうか。普段は着ないテイストだから新鮮味もある。これにはどんな服を合わせようか。すでに持っている中から選ぶのはもちろんだが、今日は服をプレゼントをすると決めたのだから新しいコーデも考えたい。ウルフウッドは今まで好まなかったような服を着せよう。わくわくしながら鼻息を荒くしていると、ウルフウッドは裾を探った。札を掴み、そこに書かれている数字を確認する。
「高ッ」
 おもちゃみたいにまんまるに目を瞠った。若草色の服を引き剥がそうとする。
「アカン! 元あったところに戻してこい」
「これはバレンタインデートのプレゼントだから高くてもいいの!」
「いいわけないやろ。その辺でやったら三着は買えるで」
「その辺で買っちゃダメなの!」
 バレンタインデートの趣旨をなかなか理解してくれないが、今日は何の日か三回ほど説明させたらとりあえず受け入れてくれた。
 ウルフウッドは自分の為にお金を使うというのに慣れていないのだ。小銭が余ると稀に賭け事で遊ぶこともあるが、基本的にはすぐに実家である孤児院に送金する。それはとても応援したいことだけれど、もう少し自分のために使うということを覚えるべきだ。彼のチェストの中身を思い出す。
「春物は去年も買わなかっただろ? 今年は買って、僕とのデートに備えてよね」
「デートしなかったらええやん。一緒に暮らしとるんやし」
「元も子もないこと言わないの!」
 僕がムキになる姿が面白いようで、僕が怒れば怒るほどウルフウッドは楽しそうに目に力がこもった。これ以上彼を喜ばせると意気揚々と嫌がらせをしてくるので、一つ息を大きく吐いて怒りを収めた。先程胸にあてたジレを腕にかけ、別の服を物色する。ウルフウッドが真顔に戻った。
「え、それ買うん?」
「買うよ。これだけじゃなくてトータルコーデで買うからね」
 ウルフウッドはしばらく眉根を寄せて怒りたいような困ったような表情をしていたが、はっと気づいた顔をすると子供みたいな純粋な顔になった。澄んだ眸で僕を見遣る。
「服を贈るんは脱がすためっちぅあれか!」
「最終的には脱がすけど違うよ。普通にプレゼントだよ」
 僕の名誉のために否定したが、なぜかこの理由が一番納得の行くものだったらしく、ウルフウッドは大人しくなった。どうしてこれが一番説得力があったのか説明して欲しい。
 着回しのことも考えながら複数の店で少しずつ買い、トータルコーディネートで三着分ぐらいの大量購入を果たした。大きな出費ではあるが意味のある買い物だ。いくつもの紙袋が重なりかさばったが、これは僕からのプレゼントなので僕が一人で持つことにした。重たいものを持つのが妙に好きなウルフウッドは無言で手を差し出してくれたが断った。代わりにいっぱい着てね、と告げたらいやらしとだけ返ってきた。そういう展開がお好みなら努力しようと思う。
 たっぷり時間を掛けて買い物を楽しんだらそれなりの時刻になっていた。ディナーは予約してあるがその前にちょっとお茶でもしたい。そう呟くと手首を掴まれ、ウルフウッドは何も言わずに大股で歩き出した。ビルを出たところで一度ちょっとまってと止め、大きなコインロッカーに愛の紙袋を預けて腕を差し出した。やっぱり手ではなく手首を掴んで大股で歩き出す。
 濁流みたいな人の波を越え、大きな交差点を渡り、細い道へと逸れていく。駅からだいぶ離れたがどこへなんのために連れて行こうとしているのか。道行く人の数も減ってきた。それでも黙ってついていくと、一軒の店にたどり着いた。黒い瀟洒な看板に白い外壁でバーのような雰囲気だが、この時間に営業しているということはカフェも兼ねているのだろう。
 ウルフウッドは腕を離すと僕の背中を乱暴に押した。先に入れと言いたいらしい。案内したのは自分のくせに、妙にオシャレな雰囲気の場所には気後れするのだ。呆れを溜め息に混ぜて鼻から出し、三段ある小さな階段を上ってドアノブを引いた。糊のきいたワイシャツに黒いギャルソンエプロンをつけたウェイトレス達がいらっしゃいませと華やかに声をかける。振り返るとウルフウッドは仏頂面でちゃんとついてきていた。店内はこじんまりとしているが清潔感があり、女性向けの雑誌にでも紹介されていそうだ。ウルフウッドは何も言わない。僕達は二人掛けのテーブルに案内された。どうやら予約はしていなかったようだ。コートを脱いで椅子に掛け、席に落ち着くとメニューを広げる。今の時間帯はデザートがメインのようだ。ウルフウッドは灰皿を寄せるとさっそく煙草に火をつける。
 メニューの最初のページには、期間限定ハートのフォンダンショコラの文字と、丸いケーキの写真が掲載されていた。顔をウルフウッドに寄せ、にやにやと笑う。
「なぁに。どこに行くか教えてなかったのにお店調べてくれてたの? 僕が選びそうな駅の周辺全部?」
「んなわけないやろ。たまたま知っとっただけや」
 素っ気なくそっぽを向いて煙を吐き出すが、それがどこまで本心かは判らない。僕は自分の予想が当たっていると信じている。
 メニューのページをめくると定番のケーキやパフェが並び、次のページにサンドイッチ、酒のつまみ、さらにめくるとドリンクの一覧になった。ここはアルコールも扱っているようだ。どれにするとメニューを差し出すと、ウルフウッドは興味なさそうに文字を追って小さなボトルビールとハムの盛り合わせを選んだ。バレンタインケーキはと訊くと当然いらないと返ってきた。僕も決めると店員を呼んだ。ウルフウッドが希望しているものと、自分のホットコーヒーを告げ、期間限定のページを開いた。
「あとハートのフォンダンショコラ、二人分サイズ」
「はい、かしこまりました」
 にこやかに店員は立ち去る。ウルフウッドは煙草の灰を落としながら器用に片方の眉だけを持ち上げた。
「なんで二人分頼んだ」
「ん? キミの予想通りだねぇ」
 事も無げに伝えると、ウルフウッドはうんざりした様子で椅子にもたれ、窓の外へ視線を投げた。逃げ出したいのだろうが諦めて欲しい。そもそもこの店を選んだ時点でこうなることは判っていたはずなのだ。
 先にウルフウッドの注文がきた。自分でグラスにビールを注ぎ、ハムをのんびりとフォークでつつく。やがて僕の注文も届いた。大きめのフォンダンショコラがテーブルに置かれると、ウルフウッドの体は一瞬だけ硬直した。それを流し込むようにビールを煽ぐ。僕はナイフとフォークを手にするとハートをウルフウッドから見て正面になるように向けた。
「美味しそうだね」
 体を引いたウルフウッドは、窓の方へ視線を遣りながら呟く。
「それな」
「うん」
「真ん中ンとこを縦に切るとええで」
「ハートブレイクにはしないよ!」
 そう言われるとどうやって切るか悩むが、とりあえず手近な山になっている部分にナイフを入れた。一口サイズに切って、刺したフォークを笑顔で差し出す。ウルフウッドはゲテモノでも向けられているように酷い顔をして肩を引いた。正気かと歪んだ口が訴えている。
 それでも僕がポーズを変えずにいると、そっと片手でフォークを押しやった。首を小さく左右に振る。今なら見なかったことにしといてやると言いたげた。仕方なくそれは僕が食べる。まだほんのりと温かくって、甘さの中にもほろ苦さがあってとても美味しかった。もう一山削り、再びウルフウッドに差し出す。
「なんでや」
「バレンタインってのは一方的に行うんじゃなくて分け合うものだと思うよ?」
 フォークを差し出したままコーヒーを一口飲む。今度は退かないと強固な姿勢を、長い時間を掛けてハムを食べたりビールを飲んだりしながら諦めて受け入れたウルフウッドは、ほんの少しだけ顔を寄せて唇を薄く開いた。明らかにケーキが入らないサイズなので唇をつつくようにしたら怪獣みたいに大口を開けて食べてくれた。すぐに僕のコーヒーを奪って流し込む。照れているのだ。
「美味しいでしょ」
「残りは全部オンドレが一人で食え」
「キミってなんか、時々健気だよね」
「会話せぇや」
 眉を顰めるウルフウッドに笑って応えた。
 ここの会計はウルフウッドが奢ってくれた。
 僕が予約したレストランは駅を挟んで反対側だ。カフェで少し寛いでから外へ出た時刻ではまだちょっと早かったけれど、のんびり歩けばちょうどいい時間になるだろう。元来早足なウルフウッドを引き止めながら、空が暗色になり、街灯がきらめく道を歩く。ここまだ大通りから外れていて静かだ。人混みの中を歩くよりも距離が近いような気がして嬉しい。
「明日は仕事だなんて嘘みたいだねぇ。一緒にサボっちゃおうか」
「ワイは会社から信頼されとるけど、オンドレがそれやったらまたクビになるんやないの」
「ひどいなぁ。僕だって少しぐらいは信頼されてるよ」
 職を転々としているのは事実だけど。とは胸中のみで呟く。多少は意地があるのだ。
「今日こんだけ遊んだんやから、それを糧に精出せや」
「ウルフウッドは本当に働き者だねぇ。キミも今週は僕とのデートで頑張れそう?」
「ワイはいっつも頑張っとるわ」
 吐き捨てるように言うものだから、おかしくなって偉い偉いと褒めたら眉間の皺が深くなった。僕はもっと笑う。
「でもさ、本当に残念じゃない? 明日があるからってそこそこの時間に家に帰るなんてさ。もうちょっとふわふわした気持ちで帰りたいよね」
「なら、遅い時間に帰ればええんやないの」
 ふいと横顔を確認する。ウルフウッドは無表情で前を向いたままだ。昔は首も顔も耳も真っ赤にしていたくせに、随分と成長したものだ。
 元々近い二人の距離をさらに半歩詰め、からかうように顔を覗き込む。
「遅い時間って、どのぐらい?」
「終電には絶対に間に合わすで。宿泊で会社に直行なんて絶対に嫌や。スーツやないし」
「やらしーぃ」
「真っ直ぐ帰ってもええで」
「ダメです」
 ウルフウッドは両手をポケットの中に入れていた。彼は手袋を好まないから素手だ。その中に僕の手も忍ばせようと腕を伸ばしたら渾身の力ではたき落とされた。食後にめいいっぱい復讐してやる。
 やがて大通りに出た。店舗はどこもバレンタインとハートマークのディスプレイで飾っており、すれ違う人達もハートを飛ばし合っているような雰囲気を出している。もちろんそうでない人達も多いはずなんだけれど、自然と同類の方に眼がいってしまうみたいだ。ウルフウッドにはこの人混みはどのように映っているのだろうか。
「さっきのフォンダンショコラも美味しかったけどさ、バレンタインのプレゼントはキミからのちゅーがいいなぁ」
「チョコもう一個買ったるな」
 素っ気ないことを言うウルフウッドにむくれるが、すぐに笑う。なんだかんだ言って、返事してくれるときはちゃんとやってくれるのだ。
「今年のバレンタインは休日で良かった。デートできたし!」
「バレンタイン程度で浮かれすぎや。明日んなったら店全部地味になっとるで」
「そうかもしれないけどさ。だったらなんで、キミは今日デートしてくれたの?」
 ちょっとした意地悪心で訊いてみた。怒って適当にごまかして、その必死な姿はさぞ可愛らしいだろうと予想したけれど、意外にもウルフウッドはほんの少し眉間に皺を寄せるだけだった。不服そうに口を開く。
「なんや、言わな判らへんのかいな」
 うっかり声が込み上げてきて、それを我慢したら妙な呻き声になった。ウルフウッドは不服そうなまま前を向く。僕は下を向いて、大きな深呼吸を繰り返して気持ちを鎮めた。嬉しすぎて体温が二度ぐらい上がったかもしれない。
「レストランとホテルに行く順番逆にしない?」
「アホ。予約したんやろ?」
「したけどさぁ。キミってたまに、とってもずるいよね」
「なにがや」
「全部」
 僕達のバレンタインデートはささやかで劇的なものではないけれど、そこには確かに二人分の愛情がたっぷりと詰まっている。
 二月十四日の日曜日は、フォンダンショコラに負けないぐらい甘い甘い一日になった。

 僕は久々に怒った。自他ともに温厚だと認める僕がこんなに怒るのは珍しいんじゃないかと、後になって思ったぐらい怒った。でもその内容はものすごく子供じみたものだ。毎週楽しみにしていたドラマの、よりにもよって最終回の予約録画を、ウルフウッドが解除してしまったのだ。
 ウルフウッドはバイクや車には強いが、機械、特にソフトには弱い。機械音痴というよりアナログ脳なのだ。未だにテレビは叩けば直ると信じているし、折角スマートフォンを買ったというのに新しいアプリを一度もダウンロードしていないという有り様だ。テレビ録画に関してもビデオテープに保存する感覚が残っているらしく、いくら説明しても理解してくれなかった。それでもテレビに関心を持っていなかったから今までは問題なかった。だが珍しく興味を持った特番があったらしく、予約をしたかったが方法が判らず、僕もいなかったためリモコンをデタラメに押したらしい。自分が見たい番組は見事予約が出来たようなので満足したが、誤ってドラマの最終回の予約を解除してしまったことには気づかなかった。そして今回のケンカだ。感情に任せて叱ってしまったが、すぐに謝罪の言葉が出てくれば僕だって許した。けれど肝心なときにいなかったのが悪いと何故か僕が責められた。ウルフウッドの性格を考慮すれば僕の叱り方が悪かった自覚はあるが、最終回を逃した悲しみは重かった。こうなったら謝ってくれるまで絶対に口を利かない! と決めたのだ。
 小学生のようなこの怒りの表現は、ウルフウッドがよくやるものだ。僕たちは一緒に暮らしているからストレートで実に判りやすい。一緒のベッドで眠るのは相変わらずだけど、朝起きても挨拶せずにそっぽを向いて、朝ごはんも用意するけれど無言で食べて、もちろんおはようといってらっしゃいのキスもなしだ。夜も概ねそんな感じで過ごした。入浴中に僕が乱入してくるというイベントもない。
 正直、ウルフウッドの性格を考えるとこの表現は効果がないと思っていた。僕の無視程度、痛くも痒くもないだろう。仲直りするには僕が自分の気持ちと折り合いをつけて、そのうち自然といつも通りになるのがベストだろうと予想していた。
 しかし人間というのは、習慣になった出来事が不意になくなると不快感を覚えるらしい。数日経つとウルフウッドは狼狽えた。明らかにそわそわしだして面白かったんだけれど、ここで甘やかしたら同じことを繰り返すだろうし、謝るということを覚えた方がいい。僕は無視を続けた。
 するとある日、テーブルの上に妙な物を置かれた。長方形に切り取られたコピー用紙で何か書かれている。手に取ってみると汚い字で『なんでも言うこときいたる券』と書いてあった。その下に手書きで点線が引かれ、さらに同じ文字が二行書かれてあった。子供が作る肩たたき券の応用だ。二人暮らしなのだからこれを用意したのは子供じゃないともちろん知っている。これを作った経緯も、理由も。ゴメンの一言を記したメモすらなかったが、態度で示してくれたので許してやらないこともない。それになにより、と三枚綴りの券を口に当てながら胸中で密かに思う。
 折角のスペシャルな券だ。使わない手はない。


 実際にその券を使うことにしたのは、それから数日経ってからだ。理由はいくつかある。一つは準備が必要だったこと。なんでも言うこときいてくれるのなら、準備が必要なぐらい真面目なものをお願いしたい。二つ目は週末に実行したかったから。夜更かししても大丈夫な方が安心して楽しめるだろ? 三つ目はウルフウッドを焦らすため。あんなものを置いたら普通はすぐにリアクションがあると思うはずだ。でも気付いてくれなかったかのように反応が皆無ならば、誰だって不安になるに決まっている。他の謝罪方法も考えているかもしれない。意地悪かもしれないけれど、そういうときに使った方が効果的なのだ。
 待望の金曜日、それも夜になるとウルフウッドの落ち着きのなさはエスカレートした。今日もまたこのぎこちなさを抱えたまま一日を終えるのだろうかという頃、僕はウルフウッドを呼び止めた。右手には三枚綴りのなんでも言うこときいたる券を提示し、表情でまだ怒っていると主張するのも忘れずに。
「これ、今日三枚とも使いたいんだけど」
「お、おう」
 やっと反応があったことに、ウルフウッドは一瞬だけ嬉しそうな雰囲気を出した。仏頂面のままだし声も低いから僕以外の人間には判らなかっただろう。ささやかな喜びは、僕はまだ怒っていると察するとすぐに消えた。可愛いことこの上ないがここで表情を緩ませたら負けだ。僕はそのまま、これ着てと買ってきた服を渡した。ウルフウッドはそれを受け取り広げると、絶句した。
 僕は二つの物を渡した。一つはだぼだぼの黒いTシャツ。筋肉質なウルフウッドが着てもなお大きいサイズだ。背面の裾には猫の尻尾を模したふわふわのアクセサリーがついている。もう一つは猫耳カチューシャ。もちろん服に合わせて真っ黒なデザインだ。ウルフウッドの反応は予想通り、筆舌に尽くし難いとばかりに引き攣っていた。悪趣味な冗談だと言い出す前に、僕はチケットを一枚ちぎって差し出した。表情はもちろん怒ったままなのを忘れずに。
「ほら、さっさと着替えてよ」
 ウルフウッドは唸り続けたが、やがてチケットをそっとつまむとくるりと背を向けた。別室へ向かうらしい。
「ここで着替えれば?」
「いやや」
 ウルフウッドは未だに妙なところで恥ずかしがる。
 着るまでに勇気を要し、姿を見せるまでにまた時間が掛かると思っていたが、案外あっさりと戻ってきた。好き好んで着たわけではないと言い訳しているかのように唇を引き結び、顔を真っ赤にしている。頭のてっぺんには猫耳をつけ、忙しなく裾を引っ張っている姿は今すぐに抱き締めたくなるぐらい愛らしい。愛らしい、が。
「なんでズボン穿いてるの」
「穿くやろ、普通」
「だぼだぼのTシャツには穿かないよ、普通!」
 口論になったが、依頼するときに指定しなかったのが悪い、脱いで欲しかったらもう一枚チケットを使用するという方向で和解した。チケットは三枚とも使い道を決定してある。ここは僕が妥協するしかない。まぁズボンなんて後でいくらでも脱がせられるしね。
 チケットを一枚ちぎり、ウルフウッドに渡す。
「じゃあ次。僕の膝に座って。向かい合わせでね」
 これにも躊躇いを感じたのかウルフウッドは顎を引いたが、初めての経験ではないので素直に応じた。脚を開き、遠慮がちに座る。顔を伏せて目線を合わせたがらないけれど、僕は意に介さず腰に両腕を回し引き寄せた。二人の腹が重なる。僕は無遠慮にウルフウッドの太腿に手を這わす。やっぱりズボンはいらないと思うが脱がすのはまだだ。
 最後のチケットをウルフウッドの胸に押し当て、下から顔を覗き込んで微笑む。
「キミの方からたくさんキスして。とりあえず十五分ね」
 息が詰まる気配がした。僕がさらに顔を寄せると、ウルフウッドは軽く体を引いて逃げる。
「なんでも言うこときいてくれるんでしょ?」
「…………判った。十五分な。タイマーつけぃ」
「そんな風俗みたいなことしないよ。キミと僕の関係はそんなんじゃないもん」
 ぐぅっと呻き声が上がった。逃げられないように抱き締める力を強くする。
「ほらほら早く。時間稼ぎなんてセコイことはしないでよね」
「せぇへんわ」
 まずは口の端に唇が落ちた。物足りないがまぁいいだろう。十五分はそれなりに長い。次に目尻に口付けされた。次は額、鼻、頬。一つ一つ慎重に行う。確かに僕の依頼通りウルフウッドからの沢山のキスだけれど、こんなのでは満足できない。腰に回していた腕を下ろし臀部を鷲掴みにする。ヒッと短い悲鳴があがり、ウルフウッドの背筋はピーンと伸びた。
「んなとこ揉むなアホ!」
「じゃあ真面目にキスしてよ」
 低い声で小さく唸っていたが、やがてちゅっと軽く口にしてくれた。もっとと言うともう一度同じようにされ、足りないと文句をつけると長く押し当てるキスに変わった。離れるとき、ウルフウッドの唇を舌先で舐めたら弾けるように逃げられた。軽いキスだけで終わるはずがないことぐらい想像ついているだろうに。舌を出したまま見上げると、こちらの目的を正確に読み取ってくれた。ヤケクソみたいに唇を重ね、舌を入れてくる。僕の舌に擦り寄るようにしていたけれど、軽く吸ったら同じように返してくれた。ウルフウッドは痺れるようなキスよりもじゃれ合うように軽く吸うのが好きなのだ。
 息継ぎしながら何度もそうやって舌先を吸ってくれたけれど、僕が返さないと不安そうに唇を離した。息が届く距離でトンガリと小さく呼ぶ。僕はウルフウッドのズボンの縁に指を掛け、下着ごと脱がそうとする。慌てて手首を掴まれた。
「それはチケットが必要言うたやろが!」
「そうだね。でもそれは僕がお願いする場合だろう? キミの方から脱ぐ分にはいらないと思うんだけど」
 どうする? と微笑んで目線だけで問えば、ずるいやろと掠れた声が返ってきた。いつもいつも、僕がお願いするから、僕がして欲しそうにするからと責任転嫁して流されたふりをする方がよっぽど狡いと思うけれど。そろそろキミは素直に自分がしたいからするのだと態度を改めた方がいい。
 もう一度脱がそうとするとやはり掴む手に力を込められて阻まれた。体を預けるように僕に寄りかかり、肩口に額を当てた。彼にしてぼそぼそとした声で喋る。
「ベッドでなら、脱いでやらんこともないで」
 ズボンにかけていた手を離し、膝を抱き締めて立ち上がった。手の甲に尻尾があたる。
 ベッドの上では素直にズボンを脱いでにゃぁにゃぁ鳴いてくれた彼はそりゃぁもう可愛かったけれど、それを知っていいのは僕だけだからね。

 それは両手で持つぐらいの、ちょっと大きな電球だった。
 電球と言ってもフィラメントもアンカーもなく、白くも塗られていなかった。電球の形をしたガラス瓶を買ってきたのだろう。ウルフウッドはそれとちょっと重そうなビニール袋を提げて、庭へと続く床まである大きな窓を開けた。ひたすら安かったため庭用にと買ったビーチサンダルを適当に素足に引っ掛け、椅子のように床に座り、外を向いて電球の蓋を開ける。僕は後ろからその手元を覗く。
「なにしてるの」
「さあな」
 振り向いてもくれなかった。こんなときのウルフウッドは絶対に教えてはくれない。僕は玄関から外へ出て庭へ入り、彼の正面にたどり着いた。目の前でしゃがんで、両手をチューリップみたいにして頬杖ついて作業を眺める。電球は青空を映していた。
「なんや、そこまでして見たいんか。変態」
 やっぱり一瞥もしないで作業を続けるけれどニヤニヤと笑っている。見学は許してくれたようだ。僕は身じろぎもせずに見守る。蓋が外された電球は、一欠片の曇りもなかった。
 脇に置いていたビニール袋の中には土が入っていた。どこからとってきたのだろうか。皮の厚い手で掴むと、ゆっくりと電球の口から注いでいく。慎重な手つきに見えたがそれでも土は多少こぼれた。ウルフウッドの膝を汚し庭に落ちる。土は湿っていて、ふわふわと空気を含んで柔らかそうだった。それが電球を半分より少し足りないぐらいにまで入れると内腿の間に置き、両手を軽く叩いて土を払い落とした。今度はピンセットを手にする。
 ビニール袋に入っている土をよく見ると、苔とか侘び草とかも紛れていた。それらをピンセットでつまむと電球の細い口から内部へ入れて、土の上を埋めていく。ボトルシップみたいだ。
 瓶の中で船ができあがるように、無機物だった電球が呼吸を始める。
「テラリウムだ!」
 電球の中に世界を作ると、ウルフウッドは得意気に微笑んだ。
 そのままでは転がってしまう電球の側面に滑り止めマットを切って貼ると、出窓に飾った。日当たりのいいここには僕が育てている観葉植物をいくつか置いていた。そちらの方が断然背が高い。森の中にぽつんと異世界が生まれたみたいな空間ができあがった。このテラリウムを眺めるために、リビングの中央に設置していたラブソファを出窓に寄せた。背もたれに向かって膝立ちになり、出窓に両腕を乗せて眺める。ソファに座って酒を飲みながらテレビを見ることを楽しみにしていたウルフウッドは、勝手で小さな模様替えに大いに怒り、ローテーブルもソファに寄せた。テレビとの距離は遠くなったが、視力は良い方だったし、アルコールとつまみを摂ることができれば満足そうだった。
 テラリウムの水やりは、いつも僕が使っているブリキのジョウロを使っていた。てっぺんにピストンのボタンがついている小型のスプレータイプだ。仕舞わなくても見栄えするから、いつも出窓に置いている。電球の内部が乾いていると感じたら適宜与えているようだった。ウルフウッドが出かけているとき電球の内部を覗き込んでみた。土がなんとなく乾いていて、なんとなく侘び草がしょんぼりしているようだったから、電球の蓋を開けてひと吹きしてみた。ガラスの内側に大きな水滴がつく。手の平サイズの世界の、恵みの雨だ。それが中の様子を隠したが、しばらくすると重力に従い垂れ、テラリウムの様子が明らかになった。植物は生気を取り戻し、濡れた緑色の葉をピンと張っていた。色も心なしか濃
くなっている。僕はそれに満足して部屋の掃除をした。眼を離していたのは掃除の時間だけ、ほんの一時間にも満たない時間だ。掃除機をしまって出窓に戻ると、電球の中の様子が一変していた。侘び草が成長して空洞を埋め尽くしていたのだ。隙間なんてないんじゃないかってぐらいに伸びている。伸びすぎた背は電球のてっぺんにぶつかるとカーブに沿って頭を丸め、内側の密度が非常に高くなっている。ウルフウッドが世話をしているときはこんなこと一度もなかった。僕がちょっかいを出したことがバレてしまう! けれどどうやって誤魔化せばいいのかひらめかない。話しかけたり布をかけたりしてみたけれどダメだった。あたふたしているうちにウルフウッドが帰宅した。機嫌良さそうに僕が背中で隠し
ている電球を覗き込む。
「ちょっかい出すんやめてぇやぁ。ほんまに」
 歌うように文句を垂れると、入らないハサミの代わりにピンセットを電球の中に差し込んで侘び草の手入れをした。ぶちりぶちりと無造作にちぎっていく。成長しすぎてちぎられた葉先は外に出され、元の静かな姿に戻っていく。
 ひとまず怒ったり拗ねたりしなかったことに安堵した。
 ウルフウッドはいつも僕が観察しているようにソファに膝立ちなって、穏やかに電球を眺めている。小さく鼻歌を奏でると、短くなった侘び草がリズムに合わせて揺れた。

 電球の様子が変わった日は他にもあった。ウルフウッドが孤児院に帰省したときだ。僕達の家からは日帰りできる距離なので彼はよく帰郷する。実家に帰るなんて物騒な話じゃなくて、両手で抱えるほどのお土産を用意して遊びに行くのだ。僕もついていくことが多いけれど、その日は用事があって一緒には行かなかった。自分の所用を終わらせて帰宅すると、ウルフウッドはまだ戻ってきていなかった。彼は人気者で、家族のことが大好きだから帰りはいつも遅い。今日も遅くなるのだろう。僕はもはや日課となっているテラリウムの観察を始めた。ソファに膝をつこうとして硬直した。激変していたのだ。朝は確かにテラリウムだったのに、今はアクアリウムになっていたのだ。空気が入る隙間もないぐらい水
で満たされており、侘び草は水草へと変わって漂い、ネオンテトラが群れをなして泳いでいた。しかも時間が経つにつれて増えている。魚達は家族なのか仲が良さそうだ。僕は裏切られた気分になって、ソファの上で膝を抱いて丸くなっていた。何もしていないのに外が暗くなってきた。もう少ししたらウルフウッドは帰ってくるはずだ。それでもテラリウムに戻らなかったらどうしよう。こんなことになるんなら用事なんか放り出して僕も一緒に行けばよかった。心配になって振り返る。背の高い観葉植物に囲まれている電球の中身は水嵩がだいぶ減っていた。ネオンテトラも少なくなっている。その事実に僕はようやく安堵した。
 時間と共にさらに水も魚も減り、いつものテラリウムにやがて戻った。帰ってきたウルフウッドは、それはそれはもう上機嫌だった。土産だなんて言ってドーナツショップの箱をくれた。開けるとオールドファッションとフレンチクルーラーとイーストドーナツともちもちリングとチュロスがみっしりと入っていた。僕のことを完全に忘れた訳じゃないようだ。オールドファッションを食べかすがこぼれても大丈夫なように箱の上でかじる。
「キミ、僕のこと忘れてたでしょ」
「別に忘れてへんよ」
 嘘つき、と思ったがドーナツが美味しかったので許してあげることにした。

 面白かったのは僕が会社のパーティーで帰りが遅くなった日のことだ。
 宵も更け住宅街の明かりがぽつぽつと消え始める時刻に僕は帰路を辿っていた。よく晴れた初夏の涼しい風が吹き、アルコールで火照った体を冷やしてくれた。野良猫さえいない真っ暗な道路を千鳥足で、ときにはターンなんかもしながら歩いていた。なんてタイトルだったか思い出せない曲を鼻歌で刻むと、それは空をよく貫いて溶けた。こんなに遠くまで鼻歌が通る夜空はそれはそれは透きとおっているのだろうとターンしながら見上げると、ぽかんと口を開けて立ち止まるはめになった。僕は宇宙に行ってしまったのだ。
 紺をわずかに抱えた黒い夜空は、数えきれないほどの星を広げていた。星の中心は白いのに発している光は青い。硬いアスファルトを歩いていたはずなのに、踵からふわっと体重が消えてしまった。きっとあの星々は、世界中の希望を集めて、ぎゅーっと一つの星にして、それを砕いて、星屑にして、全世界に打ち上げたのだ。
 僕はどうしようもなく嬉しくなって、爪先立ちになって走って家に帰った。玄関の扉を開けると同時にポンッと跳んで、ジャケットの裾とネクタイを翻し、両手も上げて、背中をのけ反らせてしばらく宙に浮いてから、ゆっくりと爪先で着地した。踵まで静かに廊下を踏む。軽い体のままリビングへ向かう。
「ウルフウッド!」
 テレビを見ながら寛いでいる愛しい彼に飛びついた。ウルフウッドは僕のことを一瞥もしなかったし、微動だにもしなかった。それでも僕は両腕で抱き締めるだけじゃ物足りず、両脚も胴体に絡ませる。頬ずりをするとやっと反応してくれた。鬱陶しそうに顔を離す。
「酒臭い」
「お酒好きだろう。それに、僕も」
 首に回していた腕で頭を抱え込み、吸血鬼みたいに首筋に吸い付く。すると後頭部を掴まれ、乱暴に引き剥がされた。強制的に天井を眺めさせられることになった。
「邪魔や酔っぱらい。さっさと寝ぇ」
「あのね、今日凄かったんだよ」
「酒と飯がか。切り落としスモーク食っとるワイへの自慢か」
 テーブルへ目を向けると、安い発泡酒と封の開いたお肉のパックが置かれていた。確かに今日のパーティーと比べたら貧相だ。お持ち帰りできたならあの分厚いハムを食べさせたかった。でも僕がいま言いたいのはそれじゃない。胡座をかいたウルフウッドの上に座り直し、首に両腕を回して正面から見つめ合う。仏頂面の彼ににっこりと微笑む。
「凄いのは星空! 夜って真っ暗じゃない? そんな中に白くて青い星がいっぱいあってね、どれもピカーってなってて、凄い力でね。あれは希望だよ、希望!」
「意味判らんわ酔っ払い」
 頬を手の平で強く押された。頑張って抵抗してみたけれど負けて、僕は床にごろんと倒れた。
 その後の記憶はないから多分ウルフウッドがベッドまで運んでくれたんだと思う。翌朝は二日酔いでしばらくベッドの上で唸っていた。二人で一つのベッドを使っているのだけどウルフウッドはいなかった。珍しく先に起きたらしい。僕もふらふらとベッドから這い出る。
 リビングに辿り着くとそこにウルフウッドはいた。昨日の延長線のようにスルメを咥えていたが、昼間だからと自重したのかお酒はない。僕もソファに座ろうとして、テラリウムが視界に入った。思わず、細く長い歓声が洩れた。
 電球の中に夜空が生まれていたのだ。柔らかな土はいつもより濡れて黒くなっている。その表面、まばらに生えている侘び草の隙間で青い砂粒と白い砂粒がきらめいていたのだ。宝石みたいだ。思わず手に取る。
「わぁ! きれい。キミも見たいと思ってくれたの」
「思ってへんわ」
「今のだけでなんのことか判ったんだね」
 そう告げるとウルフウッドは渋い顔で舌打ちし、押し黙った。酔っ払い扱いしててもちゃんと話を聞いてくれていたのだ。
 電球の手の平の上で軽く傾けると、ガムランボールみたいな涼やかな音がした。耳を近づける。砂粒の輝きが強くなったり弱くなったり、呼吸しているみたいに変わった。ガムランボールの音も、一つだったのが増えた。耳を寄せたままウルフウッドを見遣る。
「今度、一緒に夜の散歩にでも行こうか」
「行かへん」
「じゃあ泊まりがけの旅行とか」
「行かへん」
「んーと、それなら」
「行かへん」
「ケチ」
 僕らは次の大型連休に、星がよく見えるという山へ旅行することに決めた。

 面白かった出来事はもう一つある。僕らがケンカしたときのことだ。
 一緒に暮らしているからケンカはしょっちゅうある。冷蔵庫にしまっておいたお酒やデザートを勝手に食べただとかまだ読んでる途中だった雑誌を処分してしまっただとか、仕様もないことだ。今回のケンカも似たようなものだった。
 非があるのは明らかにウルフウッドだったけれど、自分は悪くないと自我を貫いた。でんっと横柄に座って、反省する気配はない。そんな態度をとられると僕としても頑固な姿勢を取らざるを得なくなる。つまり子供のケンカだ。
 そういう諍いは日数が経つにつれてなんとなく元通りになるのだけれど、今回はちょっと面白い解決の仕方をした。僕はいつもの習慣でテラリウムを覗き込んだときだ。
「あれ、牛の骨が落ちてる」
 それは小指の先ぐらいの、小さな頭蓋骨だった。
 土の奥は湿っているけれど表面はカラカラに乾燥していてひび割れていた。かろうじて生えている植物は萎びて首を垂れている。色褪せた草叢の所に、白い骨が転がっていた。大きな曲線を描く角が冠みたいになっている牛の頭蓋骨、その後ろに肋骨や背骨や脚の骨などが落ち、ぐったりとしていた。元気があれば骨だけでも歩いてくれるだろうけれど、これは無理そうだ。指先でコツコツ叩いてみたけれど案の定無反応だった。
「んなわけないやろ!」
 慌てたのはウルフウッドだ。駆け寄ると電球を奪った。僕に見られるのが嫌なようで、ちょっとソファから離れて至近距離で中身を覗く。ソファの位置からでは中身が変わった様子はない。ウルフウッドの顔が青くなったり赤くなったりする。
「おい、何くたばっとんねん。さっさと起きや!」
 発破をかけるが起きなかったようだ。骨の方がよっぽど素直だ。僕は肘掛けで頬杖をついて、呆れきった態で見上げる。
「キミってさー」
「知らん」
「僕のこと大好きだよね」
「ちゃうわボケ!」
 ウルフウッドはなおも牛の骨を起こそうと汗を掻きながら話しかけ続ける。
 とっても素直な電球と、可哀想なぐらい必死な後ろ姿に免じて今回のケンカは許してやることにした。

「なぁ、オンドレは育てへんの。ワイばっかずるいやん」
「ずるいって、キミが勝手に始めたんでしょ」
 ウルフウッドはソファの隅の隅の隅にまで体を寄せて小さくなっていた。僕が淹れたてのホットコーヒーを渡すと、迷惑そうに受け取りすぐに口をつけた。いつも通りに隣に座ると、僕との間に普段よりも距離ができる。
「あないなことになるなんて思っとらんかった」
「面白いよねー。キミのテラリウム」
 砂糖とミルクたっぷりのカフェオレを機嫌よく飲むと、隣からゲシゲシと脇腹を蹴られた。縮こまるか大きくなるかどっちかにして欲しい。おかげで少しこぼれて服が汚れた。ティッシュで染みを抜く。
「そもそもさー、僕が育てるとしたらどんな形? やっぱり十字架? シャーレみたいな蓋付きの」
「墓場みたいやな。ええんやないの、墓石置いて作ったれば」
 自分から提案してきたくせに心底どうでもよさそうにコーヒーを飲む。僕は染み抜きをしながら大きく口を開ける。
「やだよそんなの! 不吉じゃないか。それに作るとしたら小さいお花が敷き詰められてるのがいいし」
「お花畑やなぁ」
「それはテラリウムの事? それとも僕のが頭がって言いたいの」
 唇を尖らせると嬉しそうに笑った。彼はこんなときだけやたらと素直だ。
 僕はティッシュを捨て、マグカップを持ったまま片手で電球を掴む。
「可愛くないなぁ。こっちはこーんなに可愛いのに」
「やめややめ。それ廃棄や。なんなら土に埋めたる」
 わざとらしく電球を可愛がると、ウルフウッドはパタパタと手を振った。そんなつれない態度を取ったって手遅れだ。
「駄目だよ。だって、ほら」
 電球の中身がよく見えるように傾ける。茶色い土と緑の草の世界にぽつりと生まれた、赤い点。それを見つけたらどうにも頬が緩んでしまった。
「赤いゼラニウム、咲いてるよ」
 ウルフウッドはこの世の終わりみたいに縮こまり頭を抱える。ブラックコーヒーが盛大に零れた。僕はたまらなく彼が愛おしくて、目尻に涙が浮かぶほど大笑いした。

 一番初めに横取りされたのは、チョコレートアイスだった。
 平日の仕事帰り、小さな疲労が蓄積していた僕は自分の体を癒すためにコンビニでアイスを物色した。疲れているのだからといつもよりちょっぴり奮発した贅沢な代物だ。ウルフウッドにもと考えたが、彼は甘い物を好まないからお酒のつまみになりそうなお菓子にした。お酒自体は買わなくてもストックがまだあったはずだ。これだけを買って帰ろう。
 家に着くとマジックで蓋にVと書いて冷凍庫に入れ、つまみはお土産だと言ってテーブルに置いた。ソファの定位置で寛いでいたウルフウッドはそれを一瞥することもなく退屈そうにテレビを見続け、適当な生返事をした。僕は気にも留めずにシャワーを浴びた。
 アイスを食べるのはとても楽しみにしていた。なんと言ってもあの有名ブランドだ。子供のお小遣いでも買える値段だけれどアイスにしてはやっぱり高い。食べるなら万全の態勢で、ながら食べなんかじゃなくって一口ずつしっかりとチョコの濃厚さを味わいたい。
 シャワーから出て新しいパジャマに着替えると、ティースプーンを出して、鼻歌を奏でながら冷凍庫を開けた。
 なかった。
 他の食品を取り出し奥の方まで捜してみたがなかった。これはどういうことだろうと相変わらずソファで退屈そうにしているウルフウッドへ何か知らないか問おうとして、愕然とした。
「なんで食べてるの」
 カリーとか食べるときに使う大きなスプーンを握って、小さく、上品で、気高い僕のチョコレートアイスを無遠慮に食べていたのだ。そこに悪びれている様子はない。流石に僕の声も大きくなる。
「ちゃんと名前書いといただろ!」
 食べ物の恨みは怖いから、食べられたくないものにはイニシャルを書くように二人で決めたのだ。僕は断じて書き忘れてなどいない。ウルフウッドはスプーンを咥えると、事も無げにゴミ箱からアイスの蓋を取り出しこちらに渡した。Vと大きく記したはずだが書き足され、いびつなWの字に変わっていた。思わず足を踏み鳴らす。
「キミ普段はアイスなんて食べないでしょ。なんなのさ!」
 ウルフウッドは無視して食べ続け、やがて飽きたのか半分以上も残してテーブルに放った。それを僕は頬を膨らまして取り戻した。ちょっぴり涙の味がした。

 数日後、別の物も横取りされた。
 少し前にインテリアショップで『HUG ME』と書かれた吹き出し型のクッションを買った。ウルフウッドに持たせたらさぞかし可愛らしいだろうという魂胆だ。僕は満面の笑顔でそれをプレゼントしたが、ソファに寝そべっていたウルフウッドは受け取った瞬間に床に叩きつけた。僕は溜め息をつき、クッションを拾うと見せつけるように撫で撫でしてやった。
 買ったからにはもったいないと、僕が抱き締めることにした。寛いでいるときに文字がばっちり見えるようにアピールしつつ抱えていたのだけれど、ウルフウッドがハグしてくれることはなかった。始めの頃は一瞥しては呆れていたが、最近は見ることすらなくなった。
 それが、だ。クッションが僕の腕に馴染む頃になると強奪してしまった。いつの間にかウルフウッドが両腕で抱えているのだ。不思議に思ってしばらく眺めていたが、これは彼なりの合図なのだろう! と大喜びして両腕を広げて抱きつこうとしたら、脚を使って本格的に妨害してきた。近づくことを断固拒否する。しばらく攻防したのち、僕は鼻と鼻がぶつかるまでの距離を獲得した。キスをしようと更に首を伸ばしたが、胴を両脚できつく挟み込まれ、そのままぶん投げられた。HUG MEとは一体何なのかと懸命に考える一日になった。
 さらに別の日になると、僕のスリッパまで奪った。ウルフウッドは室内にいてまで靴を履いていたくないと常に裸足で生活しているから彼の分のスリッパはない。予備のスリッパも用意していないから、強奪されると僕も靴下で生活することを余儀なくされた。ウルフウッドはやっぱりスリッパは合わなかったらしく、踏みつけて引きずるようになった。納得できなかった。
 僕は彼の症状を、横取り症候群と名付けた。
 症状は悪化し続けた。
 ウルフウッドは暑がりで真冬でも滅多にヒーターをつけない。だから僕が彼に合わせて袖のある毛布を着て、ホットココアを飲んで体を温める。それなりに幸せな時間だ。だがある日帰宅すると、何故かウルフウッドが毛布を着ていた。今日はいつもより気温は高いぐらいなのに。うたた寝の直前なのか、瞼が開いているのか閉じているのかよく判らない。僕のなんだけれどと告げたけれど返事はなかった。
 しかし暑がりなことに変わりはなかったようで、数日すると毛布を脱ぎ始めた。畳むこともせず、背中に押し込んでクッション代わりにする。彼が席を立った隙に取り戻すと全力で回収された。そしてまた背中に押し込む。僕はやっぱり納得ができなかった。
 合わせて僕のマグカップも横取りするようになった。淹れたてのホットココアを奪い、一口程度で飲むのをやめてしまう。なら冷める前に飲んでしまおうと手を伸ばすと叩かれる。彼が興味を失うまで僕はココアを飲むことができない。それなら初めから彼の分も用意すればいいだろうと赤と黒の両のマグカップにココアを満たすのだけれど、ウルフウッドが興味を示すのは赤いマグカップだった。なら黒い方をもらおうとしたらそれも許されなかった。僕はどうすればいいんだ。
 そうやってウルフウッドは僕の日用品をどんどん奪っていった。やがてウルフウッドの定位置はなんだかよく判らない、雑貨を押し詰めた亜空間になった。あまりにもみっともないし片付いた部屋のなかで雑然としたそこだけが不自然だったので、彼が昼まで惰眠を貪る休日の午前中にすべて元の場所に戻した。部屋中どこもピカピカだ。気持ちよくかいた汗を手の甲で拭った。
 やっと起きて大欠伸をしながらリビングにやってきたウルフウッドは自分の定位置を見遣ると、世界が崩壊したみたいな顔で絶望した。グラスを持っていたら確実に落として割っていただろう。
 しばらく硬直したあと、無言で憤慨しながら彼はすべての物を元に戻した。頭から怒りの湯気を出し、背もたれに押し付けた着る毛布の上にクッションを殴るように設置する。ダムを作っているビーバーはこんな感じだろうかと思ったが、残念ながら見たことはない。
「ねぇそれ全部僕の物なんだけれど、知ってる?」
 巣作りを終え、満足気な様子で寛いでいるウルフウッドに訊いてみた。もしかしたら彼は知らないのかもしれない。ウルフウッドは王様みたいに両手足を広げたまま、ちゃうワイのや。と堂々と宣言した。溜め息をつく。
「そのマフラーも僕の、その本も僕の、イヤホンも僕の。あ、靴下が最近少ないと思ってたらそれまで横取りしてたのっ。使わないんなら返してよ」
 腕を伸ばすが、手の平を蹴り落とされた。ウルフウッドは一切反省せず、寝そべり、僕の腹に踵とくるぶしを擦りつけて遊ぶ。軽く叩いてみるがやめなかった。付き合い始めの頃は警戒心むき出しの野良猫だったのに、最近はちょっと調子に乗っているのではないだろうか。僕は自分の所有物を取り戻すべく、悪ガキの両足を掴む。
「欲しい物があるんなら買ってあげるから返してよ。生活に困るだろ」
 両脚をばたばたさせて逃れようとするがそうはさせない。力づくで抑えこむとようやく大人しくなった。代わりにHUG MEのクッションを抱き締めてそっぽを向く。
「別にオドレなんぞに恵んでもらいたくないわ」
「じゃあなんで僕の物横取りするの」
 さっきまで拗ねていた顔をしていたくせに、クッションを頬に寄せると猫みたいにニヤニヤ笑った。顔の半分はクッションに押し付けているから隠れ、もう半分だけが横目でこちらを見遣る。
「オンドレはワイの物なんやからこれもワイの物やん」
 それだけを言うと瞼を閉じた。表情も消える。どうやらまた眠ってしまうつもりらしい。
「ちょっと、ちょっと待ってよ。生殺しにする気!?」
 両脚を解放して覆い被さるけれど反応なんてちっともしてくれない。安眠しますと涼しげな表情だ。堪ったものじゃない。
 ウルフウッドは一体どこまで僕のモノを横取りしたら気が済むのだろうか。




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