進行方向とは九〇度外れた方角をヴァッシュは指差した。起きているんだか寝ているんだか判らないぼんやりとした顔でサイドカーに座っていたが、今はしっかりと目を開き、は滑舌もはっきりとしている。
「誰かいるよ」
 指の先には地平線しかなく、村の姿すらない。ウルフウッドはバイクを走らせたまま目を細めて誰かを見つけようとしたが、青空と砂しかなかった。片手をハンドルから離し、サングラスを親指で持ち上げるがやはり変わらない。進行方向に顔を戻す。
「気のせいやろ。あっちはワムズの通り道や、人がおるはずない」
 ワムズと人間はそれなりに共存できている。ワムズの活動エリアに踏み込まなければ案外大人しい生命体だった。代わりに縄張りを人間向けに開発しようものなら、子供が積み木を崩すようなあっけなさで破壊する。だから街もサンドスチームの類も縄張りを侵すことはしない。一人旅でもそれは同様だ。大きかろうが小さかろうがワムズは簡単に平らにならす。一人旅の場合は、単に人間が小さすぎて気づかずに轢き殺しているだけと分析されているが。
 なんにしろ、まともな人間なら行かないエリアだ。ウルフウッドは無視するつもりだったがヴァッシュは引かなかった。ウルフウッドを見上げる。
「でも青いなにかが沢山あるよ。キミを見つけた経緯も考えると寄らないわけにはいかないよ」
 ウルフウッドは唇を捻じ曲げた。あのときは一人でも生き延びることはできたが、喉の渇きを癒せたのは有り難かった。もし同じように行き倒れた人物が自分ではなかったら。度胸試しだとか正体をなくすほど飲む馬鹿はどこにでもいる。
 唇を捻じ曲げたままハンドルを切った。
 ウルフウッドには青い人影などちっとも見えなかったが、ヴァッシュは明確に捉えているようで、タイヤの方向を細かく指示した。しばらく走り続け、やっとウルフウッドにも青い物が見えてくる。
 本当に行き倒れがいたのだとスピードを上げたが、近づくにつれ、人でないことが明らかになった。シルエットが大きすぎるのだ。
 それなら引き返した方が理にかなっていると判断はできているのだが、青の正体が気になり進路を戻すことができなかった。青色の自然物はそうない。砂漠のド真ん中なら尚更だ。止めないということはヴァッシュも同じことを考えているのだろう。
 何メートルもある長い青の群れが鮮明になってくる。風に揺れる影の形まで捉えられるようなり、それらが何なのかやっと検討がついた。しかし予測を真実だと認めるのは難しかった。二人は無言のまま近づき、得体の知れない物体の目前でバイクを止めた。砂が舞う。
 果てしない砂色の中、青と緑のそれだけが幻のように浮いていた。
「なんやの、これ」
 砂漠のド真ん中としては、異質以外の何者でもない代物だった。
 地に根を生やし、水と養分を吸収する動かない存在。
 青い花。
 ウルフウッドはバイクに跨ったまま、自分の腰よりも低い花を見下ろし続けた。慎重に呼吸をする。これは本当に花なのだろうか。ジオプラントがどこかにあるとは思えない。幻影にしては出来すぎている。なんなのか、これは。
 警戒しているウルフウッドに対し、ヴァッシュはあっさりとサイドカーから降りて近づいた。真上から青い花を覗き込む。
「おい、なにしとんねん!」
「大丈夫だよ。これは多分、薔薇って花だと思う」
 なんとなく謎がひとつ解けた気がして、ウルフウッドはバイクから降りた。ヴァッシュの隣に並ぶ。
 青の群れからは初めて嗅ぐ匂いがした。強いていうなら甘い香りか。水分も含まれているようで、砂漠にいるにしては奇妙な感覚だった。その中に、皿の上に並ぶ青臭さと同じものも混じっている。これが植物特有の匂いなのだと理解した。動物とは違う生命の匂い。
「こないなところでも平然と咲く花なんか?」
「いや、むしろ育てるのは難しいって言ってた気がするけど……」
 やはり不可解な状況は変わっておらず、ウルフウッドは片方の眉をしかめた。
「なら、なんでこないなところにあるん」
 不可解は不愉快でもあった。
 花びらの青は深く濃く、空の清々しさとは似つかなかった。まったく違う色だというのに、どろりとした血液を彷彿とさせる。本物の花などほとんどお目に掛かったことがないせいか相容れない。異質なそれを睨み続ける。
 ヴァッシュは隣の警戒に気づいているのか無視しているのか、地面をブーツの爪先で叩いた。
「砂が固まってるね、なんだか黒いし。これが花を咲かせてるんだと思うんだけれど……」
 独り言ちながら地面の黒を目線で追う。てらてらと光る油に似た塊が溜まっている部分もある。黒い砂は広く長く伸び、曲がりくねり、巨大な縄を放置したようだった。この形と類似するものは一つしか心当たりはない。
「ワムズの死体跡、かなぁ」
 遙か先にまで続く黒い跡を見ながらヴァッシュは呟いた。そのうち青い花が咲いているのは半分ほどの範囲だろうか。
 ワムズの生態は知らない。しかし人の形をした存在とは言葉を交わしたことがある。ならば植物を生かす能力ぐらいあるのではないか。厳密には養分になるの方が正しいのか。ウルフウッドは片脚に体重をかけた。
「なら、ワムズから生えたっちぅんか」
「だとしたらもっと見かけてもいいと思うから、シップに積んでたのが奇跡的に生き延びたんじゃないかなぁ。青薔薇は自然界には存在しないって言うし」
「なんでや」
「青い色素がほとんどないって言ってたよ。だから淡いのしか品種改良では作れなくって、真っ青な薔薇は遺伝子組み換えでしかまだ存在してないって教えてくれたんだ」
 言ってた、教えた、誰が。
 ウルフウッドは動かず花を見下ろし続ける。
「イデンシ組み換えてなんや」
「えっとねぇ、平たく言うと人工的に無理やり作ったってことだよ。本来存在しなかったものを強制的に生み出すんだって。もちろん言うほど簡単には作れないんだけどね」
 ヴァッシュはしゃがみ、自分の両膝を支えにして頬杖をついた。花と目線の高さが揃う。穏やかに観賞する横顔を、ウルフウッドはサングラスの隙間から覗いた。
 この男は人間が強制的に作り上げた存在になにを思うのか。
 視線を花に戻す。
「青い花なんぞ拵えて何になるん? 食えるんか」
 真剣な問いにヴァッシュは吹き出した。子供みたいに純粋に笑うものだからウルフウッドの口角は厳しく下がった。ごめんごめんとヴァッシュは笑いながら手を振る。
「キミらしいなと思っただけだよ。これは食べられないよ。純粋に、眺めてて美しいなって、そのために作ったんだと思う。もしくは技術力の向上のためとかかな」
 ヴァッシュは穏やかな笑みのまま眼を細める。
「自然界にない存在だから、他の植物との交配は禁じられてる特別な花なんだって。偶然受粉しちゃうこともあるらしいけれど、新しい種から芽吹いた花がどうなるか予測つかないから、故意にやったらダメなんだって」
 ウルフウッドは疲れたように短い溜め息をついた。ヴァッシュがにっこりと微笑む。
「植物学者がどんな希望を抱いてシップに乗ったか判らないけれど、ここの先住民が育ててるのはその意思を引き継いでいるようで素敵だよね」
「育てる?」
 どこまで脳天気で都合のいい妄想に浸れるのだろうかこの男は。それとも韜晦しているのか。ウルフウッドの眉間に皺が寄る。
「ここで死んどるだけやろ、死んで地面がカチカチになるんやったら移動の邪魔やからな。目立つモンをマークにしとる。おセンチな感情なんぞあるわけないやろ」
 ヴァッシュは刹那目を見開いたが、反駁することはなかった。視線は地に落とすが笑顔で立ち上がる。
「夢がないなぁ。キミらしいけど」
「夢で腹が膨れるかいな」
 サイドカーへ未練なく戻る背中を、肩越しに振り返って見遣る。
「これどないするん?」
「どうって?」
「札束の山やろ。言うなれば」
 毒々しい青を一瞥する。
 この惑星で植物を手に入れるには、プラントに生産させるかジオプラントで整えた土壌で育てるしかない。無限の寿命を持たないプラントにただのお飾りを生産させるリソースはほとんどなく、そもそも生きたものは作り出せないようであった。根がある花は贅沢な高級品なのだ。それが数え切れないほどある。遊んで暮らすことに興味はないが、何かを考えることぐらいは普通ならばするはずだ。
 立ち止まったヴァッシュは首を傾げながら振り返る。本当に考えているのかポーズなのかは判らないが、やや間を開けてから脳天気に笑んだ。
「どうもしなくていいんじゃない? 僕達の手に余るし、奪っていいものでもないよ。だからこのまま」
 予想通りの答えであったし、自分が問われても同じ結論を述べたが、ウルフウッドは呆れてみせた。
「オンドレの見間違いのせいでガソリンも時間も浪費したわ。無駄骨やん。ほんっまオンドレと一緒におると損ばかりや」
「ええー。損は言い過ぎだよ、行き倒れがいなかったのはいいことじゃないか。それに、さ」
 ヴァッシュは軽く腰を折り、下からウルフウッドの顔を覗き込む。
「この花を見たことあるのが僕ら二人だけだったら、二人だけのヒミツができただろ」
 ウルフウッドは軽く顎と肩を引いた。サングラス越しに瞬きを一つする。イタズラっぽく笑うヴァッシュから視線を外すと早足で追い抜き、バイクへ向かった。
「嫌やわー。たらしやたらし。油断も隙もあらへんわ」
「何がだよー」
 追いかけてくるヴァッシュを無視し、先にバイクに跨った。サイドカーも埋まったことを確認すると、青い花の群れを見遣る。
 動かず、変わらず、せいぜい風に揺られるだけの存在だが、こんな旅を続けていたらもう二度とここには戻って来られないだろう。
 それは勿体無いことのように今更思えたが、無言でエンジンを掛け、バイクを走らせた。


 予定していた街に着くと腹を満たし、宿でツインルームを取った。ウルフウッドはまっすぐにベッドの一つに向かい、うつ伏せに倒れ込んだ。安い宿ではあったが粗悪ではなかった。長時間の運転で強張った筋肉をスプリングは柔らかく受け止めた。
 戦闘はなかったし簡単に疲れる体でもないが、食後にベッドの組み合わせは流石に効いた。瞼を閉じるのが心地よい。このまま仮眠を取ってしまおうか。
 倒れたまま動かないウルフウッドの足首をヴァッシュが掴んだ。膝を曲げさせて持ち上げ、靴を脱がす。両方共脱がすと揃えてベッドの下に置いた。ウルフウッドは動かなかった。ベッドのスプリングがもう一人の体重を支えて軋む。黒い前髪を細い指が梳いた。
「懐くな」
「いいだろ、少しぐらい」
 声色で不快さを表したものの、瞼を開けるまでには至らなかった。放っておけばやがて飽きるだろう。呼吸を深くする。
 ウルフウッドの意識がとろける頃、あやすだけだった指が意思を持った。額からこめかみ、頬へと滑る。頬を包む手の平の熱さと、こめかみの辺りで留まる指先が煩い。無視し続けると、甘ったるい声が落ちた。
「ねぇえ」
「嫌や」
「まだなにも言ってないよ」
「言っとる」
「じゃぁさ」
 ヴァッシュは背を丸め、顔を近づける。太陽と甘い匂いの体臭が強さを増した。ウルフウッドは咄嗟に息を詰めた。肩から手にかけての筋肉が硬直する。
 ヴァッシュの声に熱と湿り気が帯びる。
「どうして抵抗しないの?」
 睨んでやろうと瞼を開けた。緩やかに微笑む顔を眼球だけで見上げる。いつも通りの人畜無害そうな笑みの奥に、粘っこいものが潜んでいた。捉えて逃がさないと言わんばかりに見えない手が纏わりついてくる。
 温厚を通り越し、情けない印象さえあるこの男が我欲を出すのはこんなときだけだ。一体どれだけの人間にこの顔を見せたのだろうか。
 黙って睨み続けていると頬を包んでいた手が動いた。肩を掴み、仰向けに転がす。首筋を撫で、鎖骨を通り、ワイシャツのボタンを外した。ウルフウッドは睥睨するだけで抵抗しなかった。
 もつれ合うとヴァッシュはそのまま寝てしまった。散々人の体を好きにした獰猛さは消え、同一人物とは思えないほど健やかに眠っている。
 ウルフウッドは絡みつくヴァッシュの腕の中で体を反転させ、煙草とマッチを床に落ちたスーツの中から探して火を着けた。月明かりしかない青白い室内を紫煙が濁す。
 砂漠のド真ん中に生息する異質な青い花は、これからもワムズが生かし続けるのだろう。それぞれの意思に関わらず。シップが墜ちて、人間が欲のために作り上げた花は根付き、今日に至るまで残っている。
 ワムズの寿命など知らないが、星暦から計算すれば、自分の身を栄養として渡したのは一体か二体ぐらいだろうか。人間の寿命はもっと儚い。自分は何人目だろうか。
 煙草を持つ手をベッドの外に出し、ゆっくりと息を吐く。くだらないし意味のない疑問だ。本人に問えば渋々答えてくれそうだが、それで何かが変わるわけでもない。
 益体もないことで煩わせる男の呑気な寝顔を見ていると、鼻をへし折ってやりたくなる。
 寝て、明日になればこの苛立ちは忘れる。花を見つけたことも数年後には記憶に残らない。死ねば、自分が何代目のワムズだったのかも考えなくて済む。
 人間の単純さに縋り、煙草の火を床に押し付けて消し、瞼を閉じた。


 ご飯だよと呼ぶ声に起こされた。起きると、熟睡した子供みたいにさっぱりした顔のヴァッシュが立っていた。コートこそは着ていないが身支度は整えてある。自分がいるベッドに目を落とすと、掛け布団の上に新しい下着とスーツが畳まれて置いてあった。ヴァッシュが用意したのだ。
 下着を穿き、そのままテーブルにつこうとしたが、ワイシャツの袖に腕を通した。ボタンは留めずにテーブルへ行く。にこにこと立ったまま待っているヴァッシュとは目を合わせず椅子に腰掛けた。
「自分で作れば材料費だけでいいって言われたから作ってきたんだ。美味しそうでしょ」
 トレーにはトーストしたパンに野菜やチーズを挟んだ鮮やかなサンドイッチと、芳ばしい珈琲が二人分載っていた。几帳面な男らしく、具だくさんのサンドイッチには、崩れないようにピンを刺していた。
 しかしウルフウッドが目を奪われたのはそれではなかった。皿と皿の隙間にぽつんと立っている陶器の筒を凝視していた。布で造られた小指ほどの花が活けられている。
 造花と呼べるほど大した代物ではない。青いチェックの端切れとワイヤーをボンドでくっつけただけだ。葉脈もデザインされており丁寧な仕事ではあるが、売り物にはならない。
 ウルフウッドの視線に気付いたのか、ヴァッシュも椅子に掛けながら説明をする。
「ここの奥さんが趣味で作ってるんだって。たくさんあったから一つ借りてきたんだ」
「わざわざ青を選んできたん?」
「うん」
 晴れやかな肯定に力が抜けた。ウルフウッドの眉尻は下がり、唇も緩やかになる。
 トレーの上から自分の分のサンドイッチと珈琲を取った。ヴァッシュも同じようにして、二人の間に手製の花を置き、トレーを脇へよける。小さなテーブルを温かな陽射しが照らした。
「オンドレ、アホやアホやよぉ言われとるけど、やっぱりアホやなぁ」
「なんでだよ」
「いらんことばっかり覚えとるから」
「記憶力の話なら普通は頭いいって言うと思うんだけれど」
 いつだったか酒飲みの男も似たような指摘をしていた。さっさと忘れてしまえばいいと。
 対し、しつこく思い出すとヴァッシュは断言した。おそらく昨日一緒に本物の花を見たことも、こうして同じ色の花を飾ったことも、なにかの折に思い出すのだろう。それが苦しくなるだけのときがあると判っていても、それ以上の喜びがあると愚直に信じているのだ。いま一緒に食べている相手とのやり取りが遥か遠くの出来事になっても。
 さっさと忘れてしまえばいいとウルフウッドも思う。それは本気だ。だが覚えていたいという気持ち自体は不快ではない自分もいた。つまり自分も愚か者なのだ。
「アホと一緒におるとアホになるっちぅんはホンマやったんやなぁ」
「どういう意味だよ、それ」
 不服そうなヴァッシュに唇の片側だけで笑い、幸福そうに口を開いてサンドイッチにかぶりついた。
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