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 当然ながら冬は寒い。だからヴィンセントは待たすまいと、約束の時間よりたいぶ早く予定地に着いた。約束相手とは同居している仲だったが、今日は互いに用事があって別れていたのだ。
 用事が終わるころを見計らっての約束だったが、予定が狂うことになった。約束の場所で十分ぐらい待っていると、唐突に持っている鞄が震えた。思わず背筋を伸ばす。この感覚はいつになっても慣れない。
 ヴィンセントはその振動の元を取りだした。シドに頼んでマナーモードに設定してもらった黒い電話。開き、届いたメールを確認する。

「…………」

 ヴィンセントはため息をつき、電話をしまった。あたりを見渡す。
 理由までは書かれていなかったが、三〇分ほど遅れるとの連絡だった。彼のことだから、なにに巻き込まれても可笑しくはない。
 外気にさらされた皮膚は冷え、さすがにこれ以上外で待つつもりはない。駅前を約束の場にしたのは幸いだったろう。ヴィンセントは手近な店に入った。
 
 身を包む暖かい空気にほっと安堵する。痺れにも似た手の感触に、自分で思っていたよりも冷えていたことに気づく。
 とりあえず、軽食屋に入ったのだからなにかを注文しなくてはならない。空腹は感じないためコーヒーだけでもいいのだが、食べ物も頼むのが礼儀だろう。ヴィンセントは視線をカウンターの下、ショーウィンドウへ向ける。

「…………」

 約束の場所に近い方が便利だとうと入店したが、もう少し選ぶべきだったかと軽く後悔した。ずらりと並んだドーナッツは、どれもが甘そうだった。店内を薄く漂う匂いさえも甘ったるい。
 甘い物が好きでも嫌いでもないのが悩みの原因だった。こんなに種類が多くては、どれが自分の好みか判別できるわけがなかった。
 甘い物が好きだったならば、どれでも問題はなかっただろうし、第一詳しかっただろう。嫌いだったならば、居心地は悪いがコーヒーだけにした。
 なんとなく、宙ぶらりんの状態。

「お決まりでしたらどうぞ」
「あ、いや……」

 店員に笑顔で接客され、ヴィンセントは困った顔を隠せなかった。
 他に待っている客はおらず、カウンター前でじっとしているのは自分一人だ。怪訝そうな表情をされるが決まっていないものはしかたがない。もう少し粘ることにする。コーヒーは決まったのだ。あとは食べ物だけだ。

 ウィンドウの右端から左端までを何往復かしたところで、ヴィンセントの身体は反射的に背筋を伸ばした。またメールがきたのだ。慌ててとりだす。
 メールの内容を確認すると、やっと駅についたそうだ。時計を見るとあれから二〇分経っている。時間が過ぎるのは早い。
 ガラスドア越しに外を見たが、彼の姿はない。人混みか建物の陰になっているのだろう。
 ヴィンセントは不器用な手つきで返信をする。ドーナッツ屋にいると伝えるだけで、軽く疲れた。いまどき携帯を所持していないのは赤子か老人かのどちらかぐらいだと言われ、なかば強制的に買わされた。機械が苦手なヴィンセントには、通話とメールしかできない。他にもウェブ機能やカメラ機能がついているとのことだったが、さっぱり意味がわからなかった。「これで少しは便利になっただろ?」と訊かれたが、どの辺が便利なのか判らなかった。勝手に電話がかかってくるあたり、不便だ。

 送信されたことを確認すると、再び意識をドーナッツへ戻す。まだ問題は未解決のままだ。
 ヴィンセントはとりわけ頭脳が秀でているわけではないが、劣っていると感じたこともない。だが、世の中では当然として通っていることが、不可解だと感じたことは何度もある。そのズレがどこから生じてくるものかは検討がつかない。
 携帯電話がなくては生きていけないという思考は理解できないし、ドーナッツなのに真ん中に穴が開いていないのも不思議だった。これでは普通のパンと見分けがつかない。ドーナッツの絵を描けと言われれば、多数大勢の人間がリング状のものを描くだろう。

「待たせたな」

 聞き慣れた声に惹かれるように視線を滑らせた。外は寒いはずなのに、顔を上気させた男が立っている。

「走ってきたのか? シド」
「待たせちゃ悪いと思ってよ」
「そうか」
 くったくなく笑う顔は、自慢のモノだ。つられてヴィンセントも笑う。

「で、なにしてんだ?」
「注文をしようと思って……」
「どれにするんだ」
「いや、それよりもこのエンゼルクリームは――」
「エンゼルクリーム一個とホットコーヒー二個。持ち帰りだ」
「はい、かしこまりました」
「シド?」

 なぜかヴィンセントの意向を無視してスムーズに注文が進み、気がつけば代金を払った彼が商品を受け取っている。

「寒ぃんだ。さっさと行くぞ」
「あぁ……」

 迫力に圧されてで頷いてしまったヴィンセントは、気がつけばエンゼルクリームとコーヒーで両手を塞ぎ、シドと冬空の下を闊歩していた。
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