Pattern:Wolf

 神は告げた。今日だけお前がついた三つの嘘を真実にしてやろう。狼は訝しんだ。神はそんなに気風がいい存在ではないと知っていたから。しかし貰えるものは貰っておこうと、頷くこともせず受け取った。


 朝から酷い天気だった。刺すような太陽はいつもと変りないが、強風が砂埃を舞い上がらせ視界を殺している。窓を開ければ後悔することは必至で、想像だけで口の中が不快になった。
今日の出立は無理だろう。
 夢で告げられた神の言葉が蘇った。所詮夢だと自覚しながら呟く。今日はやたらと凪いどるな。狼は適当に着替えて宿屋の階段を降りた。
 下では赤い悪魔が朝食を取っていた。ナプキンを首に巻き、ナイフとフォークで豪勢なホットサンドを切り分けている。狼は正面の椅子に腰掛けた。
「今日はえらい奮発したな」
「だって隣町は遠いんでしょ。体力つけなきゃ」
 子供のように頬を膨らませる悪魔に、頬杖をついて溜息を吐く。
「この風やと出発できんやろ」
「それがさっきピタっとやんだんだよね」
 考えるより早く窓の外へ顔を向けた。一面砂色だったはずが、今は正面の建物をしっかりと認識できる。神の微笑む口元が見えた。
「また強くなる前に出とかない?」
 窓から目が離せなかった。体温は下がり、腹の奥底に冷たい塊が居座る。
「どうしたの、ぼーっとして」
 ホットサンドにフォークを突き刺しながら悪魔が首を傾げた。狼は動かぬまま、目線だけをぎこちなく遣る。
「そりゃあぼんやりすることぐらいあるわ」
 背中に汗がじっとりと浮き出る。これを言ったら取り返しの付かないことになるのではないか。微かに震える指と動かぬ舌に力を入れ、ごくりと唾液を嚥下する。視線だけをまた外へ向けた。
 風一つない、凪。
「ワイかて、人間なんやし?」
 座っていられたのが不思議なほどの強い眩暈が視界を真っ黒に変えた。
 しかしそれは幻覚だったのか、一瞬後には何事もなかったように会話が続けられた。
「ふーん? 疲れてるんなら明日の出発でもいいけれど」
 呑気に頬張る悪魔の手からナイフを奪った。自分の手の平を全力で切りつける。
「ちょっ、何やってるんだよ!」
 食事用ナイフの切れ味などなまくらに決まっているが、それでも手の平からは赤い血が溢れた。簡単には止まらず、皮膚を伝い手の甲まで濡らす。
 腹の底の冷たい塊が震えた。それは笑ったのだろうか。
 悪魔はデタラメに紙ナプキンを抜き傷口に押し当てた。白いナプキンがみるみる変色する。説教を告られている気がしたが脳味噌にまで届かなかった。
「なぁ、オドレは人間になりたいと思うたことあるか?」
 口を噤んだ悪魔の双眸を捉える。
「今日だけなら、ワイが叶えてやれるかもしれへんで」
 軽傷とすら呼べない手の平がじくじくと痛む。この感覚は何年ぶりだろうか。
 こわばっていた悪魔の表情がゆるみ、押さえつけていたナプキンごと痛む手を、しっかりと包んだ。
「なんでそんな泣きそうな顔してるんだよ」
「泣きそうなツラなんぞしとらんわ」
 滲みかけていた視界が急速にクリアになった。仕様もないことに三つ目を消費してしまったと苦笑する。
「やっぱりでけへんようになってしもた。オドレを独りぼっちにさせてまうようで悪いんやけど、明日には元通りになるはずや。今日だけ我慢してくれ」
 人間はそう呟き、包まれた手を悪魔の頬に添えた。





 Pattern:Typhoon

 神は告げた。今日だけお前がついた三つの嘘を真実にしてやろう。台風は信じた様子ではなかったが、笑顔でありがとーと応えた。

 メモを片手に牧師と並んで街を歩く。バッグは相当軽くなっており、買い出しだけで一日が潰れる予想だ。目的の店に着き足を止める。牧師は煙草を咥えながら腹立たしげにメモを覗き込んだ。
「一番上のドーナツはいらんやろ、どう考えても」
「何言ってんだよ、旅の醍醐味はおやつだろ」
 サングラスからはみ出していた眉が大きく持ち上がった。んな金どこにあんねん、と怒り出す彼を両手で宥める。夢の中で告げられた神の言葉が蘇った。
「お金なら心配いらないよー。今日はドーナツが降ってくるからさー」
 白々しく両腕を広げて宣言すると牧師の眉間のシワが深まった。数秒後には殴られるかもしれない。逃げ出すために脚の筋肉に注力する。
「店の金遣い込んじまってどうするんだいっ!」
 建物が震撼するほどの怒声に二人して身を縮めた。目的のドーナツ屋が出所だ。
「夫婦ゲンカ、かな」
 怒鳴る女性の声に情けない男の声が混じっている。ガラスが割れるような破壊音の後、二階の窓から大量のドーナツが飛び出した。
「え?」
 一つも落とさなかったのは日頃の訓練の賜物か。両の指十本にドーナツが引っかかった。身体を捻ってまで受け止めていた体勢を元に戻す。
「ホントに降ったなぁ」
「どうしよう、これ」
 悪趣味なアクセサリーか武器のように重なったドーナツを見下ろす。もろうたらええやん、と牧師は自分で受け取ったドーナツを頬張った。
「勝手に食べたらダメだろ!」
「どうせ売りモンにならんて」
 悪びれもしない態度に溜息をつき、無人の店内に入った。トレーの上にドーナツを置き、一番好みの味がしそうなドーナツを一つ貰った。二つ分の代金を払って店を出る。
「得したな」
 汚れた指を舐める牧師を睨みつけるが意に介した様子はなかった。
 しかしこれは偶然だろうか。あれは単なる夢であり信じるほうがバカげている。だが誰かに迷惑をかけるわけではない。
 残り二つはどんな嘘をつくか考えるが咄嗟には出てこない。世界がラブ&ピースで満たされている、というのは嘘だと思っていない。兄は自分で決着をつけなければいけない問題だ。消去法で案を述べていくととても身近なことに限定された。牧師が買い込んだ荷物を考えながら受け取っていると、いつしか視界は紙袋で塞がった。
「あのさ、ちょっと買いすぎじゃない?」
「何言うてんねん。最大の買い物は次やで」
 いつの間にか奪われたメモを覗き込む。一番下にはバイクと書かれてあった。
「ここや」
 金属製の乗り物が並んだ店内に牧師が踏み込んでいく。荷物を落とさないようにしながら車を眺めた。どれも表面は煤けていてマトモに走ってくれるか怪しい。荒野のど真ん中で動かなくなった過去を思い出し身震いする。
「激安でそこそこマトモなバイクが手に入る」
 数分後牧師は上機嫌で戻ってきた。比較的新しめのバイクをぽんぽんと叩く。
「いいのがやっすく買えたで。ワイの交渉術のおかげやな」
 荷物そっちに入れてええで、とサイドカーを示された。ぽかんとしながら座席に下ろす。
「どないした。ボケっとしよって」
「いや……」
 やっと解放された両腕を軽く振る。煙草に火をつける彼を盗み見しながら口の中だけで呟いた。彼がキスしたくなりますよーに。
 どんな反応をするか楽しみに思ったのは意地悪だろうか。ソワソワするかイライラするかのどちらかぐらいは期待したのだが、ゆったりと煙草をふかすだけだった。やはり単なる偶然か。
 脱力しかけたが一つの可能性に思い至り、丸めていた背を伸ばす。
「煙草って口寂しいときに吸うって言うよね」
「あぁ?」
「いつから僕とキスしたいと思ってた?」
 音速で振るわれるパニッシャーをこめかみで受け止めながら、もしまだ一つ分残っていたらベッドの中で使おうと決心しその場に倒れ伏した。
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