一人で暮らすには、少し広すぎるマンション。
 ひとつを寝室、ひとつを趣味の部屋としても、もうひとつあまってしまう。ならば最後のひとつは倉庫にするしかなく、やっぱりそこは物が雑然と置かれていた。だが、倉庫としての利用ではない。部屋の主が、同じように雑然とした人間なだけだ。
 その主はまだ帰ってこない。
 家には焔が一人。

 食事もすませ、風呂もすませた。あとは寝るだけとなった焔は、スウェットを着てベッドに仰向けになっている。両手でハードカバーを支えて。
 むろんその体勢を持続すれば、腕は重くなりしびれを感じる。だから読書は休み休み進めているが、それで困ることはなにひとつない。目的は本を読むことではないのだから。
 腕を休めているときは、まぶたが重くなる。そのまま意識を手放してもやらねばならないとこはないが、やりたいことはある。自主的に起き続けていたのに、目的を捨てて寝てやろうかと思う。
 残るのはたぶん、淡い後悔だけだ。
 数時間過ぎたのに対し、ページ数は十も過ぎない。意識の浮き沈みの方が多かろう。 
 何度目かのうたた寝から、ゆっくりと意識が動く。重鈍なそれはしばらく底を漂泊し、物音に引きずられるかのように浮上してきた。鼓膜は音を捉えていたが、頭で理解していない時間。
 焔は瞼を開いた。

「あ、生きてた」
「…………」

 人だと理解するのに一秒、それが悟浄だと認識するのにさらに一秒かかった。なにかを咀嚼していると気がついたのは、ずっとあとだ。

「……おかえり」
「ただいま」

 片手にフライドチキンをつかんだまま、のぞき込んでくる。電気のついていない部屋では紅い瞳が黒い。

「暗いところで読んでると、目ぇ悪くするぜ」
「別に読んでいたわけではない」
「ふぅん?」

 悟浄は焔の胸元に目をやった。そこになにがあるのかと確かめれば、開かれた本が伏せてある。多少話は進んだはずだが、ちっとも頭に入っていなかった。また明日、読み直すのだろう。

「今、何時だ?」
「十二時半」
「日付変わってしまったのか……」

 首を反らし、視線を空に泳がせるがなにもない。悟浄はベッドに腰掛ける。焔が寝ているときは、この体勢が多い。
 しばし無音の世界、鼻についたにおいに、やっと気づいた。

「……酒臭い」
「あぁ。飲み会やったから」
「そうか……なら、飯用意しなくてもよかったな」
「お前祝わないっつってたから、豪華な食事があると思ってなかった」
「大して豪華でもない」

 祝わないと言ったのも、いらないと言ったからだ。
 喉元にくすぶる言葉を、胸の裡に鎮静させる。言い訳じみて聞こえるから。
 手の中から目に見えて減りゆくチキンに、視線を戻す。

「まだ食べるのか」
「酒が主体だったからな」
「ケーキ食べたか?」
「甘いのはだめだって、知ってんだろ?」
「楽しかったか?」
「それなりに」
「おれといるのと、どっちが楽しい?」
「さぁな」

 悟浄は背を向けているから、視線は交錯しない。だが、焔は彼の頬へ手を伸ばした。ぎりぎりで指先だけ触れる。

「ん?」

 わずかに振り向く男。
 視線が合う。

「誕生日、おめでとう」
「あぁ。ありがとう」

 悟浄の目が、笑みで細められた気がした。


??END??
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