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 ミュージアムショップの中でウルフウッドは足を止めた。商品のひとつを黙って睥睨する。
 今日博物館へ来たのは、恐竜の化石の展示会へ僕が誘ったからだ。恐竜大集合とダイナミックに書かれたポスターを街中で見つけたとき、真っ先にウルフウッドの顔を思い出した。普段は博物館に興味なさそうで、誘ったときも退屈そうな顔だったけれど、二つ返事で承諾してくれた。
 当日までほとんど話題に出さなくって、展示室内で本物を目の前にしても無表情だったけれど、さっさと順路を進まずに、化石を色んな角度で見上げながらうろついていた。僕とはぐれるのも構わずにマイペースに観察していたから、楽しんでくれていたのだと思う。
 たっぷりと時間をかけて観覧を終えると、ウルフウッドはいつもよりスッキリしたというか、わずかながらエネルギーに満ちているような気がした。表情も心なしか柔らかい。だからかミュージアムショップへも快く付き合ってくれた。
 ショップに陳列してある商品は、展示物の図録やオリジナルの一筆箋などの他に、今回の展示に合わせた化石のチョコやおもちゃの発掘キット等もあった。ウルフウッドはそれに興味を持ったのか、パッケージの裏を確認していた。
 しかしそれらはすぐに戻して進んだ。一番足を長く止めたのは意外にも雑貨コーナーだった。
 科学などを応用したインテリアが並んでいる。カラフルなボールが水の中で浮かんでいるガリレオ温度計や、三つの輪が回転しながら揺れるモビールコスモなどだ。ウルフウッドはその中の一つを凝視している。どれに関心を寄せたのだろうと隣に立ち、視線を追う。この中では比較的地味な、しずく型のガラスだった。大小二つのサイズが並べられている。ウルフウッドは大きい方へ顔を近づけた。ガラスの中身を、未知の生命体が閉じ込められてでもいるかのように睨めつける。実際には異常な物なんか入っていないのだけれど。
 ガラスの中はほとんどが透明な水分で、下の方で白い結晶がわずかに沈んでいるだけだ。じっと観賞していても動くようなものではない。僕は黒い後頭部を観察する。
「これ、何なん?」
「ストームグラスだよ。気圧によって結晶の様子が変わるんだよ。テンポドロップって言い方もするね」
 気に入ったの? と問うとストームグラスを手に取った。顔先数センチの距離にまで近づけて、寄り目がちに睨む。シダの葉みたいな結晶の形が面白いのだろうか。
「美味そうやん。かき氷みたいで」
「今日は晴れてるから少ないけど、嵐の日にはびっしり結晶ができるらしいよ。買う?」
 ウルフウッドの眼が好奇できらめいた。そのままレジに進みそうだ。財布を持っているのは僕だから一緒についていこうとしたけれど、ちらりと値札を確認した途端に好奇は消えた。商品を戻し、ふいと顔を背ける。
「いらん」
 振り返ることなく雑貨コーナーから離れてしまった。まだ見ていない商品を軽く流し、さっさとショップから出ていってしまった。僕はもうちょっと見ていたかったのだけれど、断腸の思いで店を去ったウルフウッドが可哀想だろうと僕も出た。
 待っていてくれた彼は肩が並ぶのまでは待ってくれず、出口に向かって歩きだした。そのまま博物館を終わりにするのだろうと予想したけれど、館内の案内板を前にすると止まった。親指でくいと喫煙所を示す。返事を聞かずに行ってしまった。化石を見終えた直後とは違って、ずっと仏頂面だった。
 普段なら近くまで着いていくか、その場で待っていることが多いのだけれど、今回はミュージアムショップに急いで戻った。ストームグラスの元へ悩まず進む。大小二つのサイズがあったので、大きい方と、今回の図録をレジに持っていった。会計を済ますと案内板の下へ早足で向かう。行って戻るまでおおよそ三分。いい記録じゃないだろうか。
 マイペースに一服したウルフウッドは、穏やかさを取り戻していた。どこか眠そうでもある。だけど僕がぶら下げているショップの袋に気付くと目を見張った。赤い袋だから中身は見えないはずだけれど、膨らんでいる大きさで予測がついたのだろう。眉根を寄せた様子は不機嫌や不快と表現するのがピッタリのはずだけれど、眼だけは期待に満ちた子供でアンバランスだった。僕は笑顔を浮かべる。
「帰ろう」
 無断で買い物したことへのお咎めはなく、ウルフウッドは黙ってついてきてくれた。
 家に着くとテーブルの上に袋を置いた。どうぞと告げてキッチンへ向かう。僕がそばにいたら箱を開けないからだ。
 湯を沸かしてマグカップを用意している間に、ウルフウッドは黙って袋からまず図録を出し、その隣に箱を並べた。セロハンテープを親指の爪で切ってフタを開ける。肺にたっぷりと空気を吸い込んで、慎重に中身を取り出す。クッション材に包まれているからまだ姿は確認できない。彼にしては珍しく、壊れるのを恐れるように繊細な手つきでクッション材を留めているテープを剥がした。曇りのないしずく型のガラスが顕になる。
 ショップに並んでいたときと同様に、家でも結晶は少なくてほとんどが透明な水だけれど、充分魅力的に映っているのかウルフウッドの鼻の穴が膨らんだ。両手で掴み、いささか乱暴な手つきで、当人からすればいつも通りの力加減で揺すると、理不尽な暴力を受けた結晶はゆったりと崩れた。飽きもせずにそれを繰り返すと、満足したのか近くの棚の上に置いた。
 見慣れたその棚はもはや背景の一部と化しているのだけれど、その日からウルフウッドは時折顔を上げてストームグラスを観察していた。


 最初は、僕がそばにいるときに観察はしていなかったのだけれど、隠すのが億劫になったのか毎朝出かける前に確認し、帰宅しては確認し、暇なときにも確認するようになった。休みの日には、床にごろんと寝そべると、へその近くにストームグラスを置いて丸くなり、だらだらとテレビを見たり日向ぼっこをしたり僕が買った雑誌を読んで過ごしたりしていた。一緒に買った図録を開いているときもあった。なんとなく、鳥の抱卵を彷彿とさせる姿だった。
 夏に近づく暖かい季節だから中の液体は透明で、晴れの日には見応えがちょっと足りなかったけれども、雨の日には様子が変わった。結晶は細かな星のようになり、スノードームさながらに液体の中を舞った。
 この変化に真っ先に気づいたウルフウッドは、無言ではあったけれど、喜びと驚きが混じった興奮を発散させていた。顔を近づけて、一粒一粒の形を捉えるように瞬きすらせずに凝視している。僕の位置からは背中しか見えなかったのだけれど、思わず笑いそうになるぐらい愛らしかった。
 雨の日の外出はいつも面倒臭そうだったのに、この日だけは機嫌よく傘を差して仕事に向かった。
 しばらくそうやって可愛がっていたのだけれど、晴れの日の様子は見慣れてしまったようで、早く冬にならないかと、澄んだグラスを退屈そうに眺めるようになった。動物と違って鳴いたり動いたりしないのだから自然なことかなと肩を竦めたけれど、観察はやめなかったから愛情はまだあるのだろう。
 ウルフウッドのやや後ろに立って、物静かなグラスを一緒に眺める。
「冷蔵庫に入れる? 冬みたいに白い水になるんだってよ」
「入れへん。人工的に操作してどないすんの」
 怒った様子につい和んでしまい、頭を撫でたら牙を剥いて威嚇された。噛みつかれる前に笑って手を引く。


 そうやって過ごしていると待望の日が訪れた。タイフーンがやってきたのだ。
 朝の段階では、まだ雨は降っていないけれども、風はひたすら強くって窓ガラスがガタガタ鳴った。外ではビニール袋や空き缶が飛んでいる。被害に遭う前にと、僕は雨戸を閉めた。強すぎる風のせいで滑りが悪く、いつもより力が必要だった。窓も閉めるとぐちゃぐちゃになった前髪を整える。暴風の音が少しだけ遠くなった。
 ウルフウッドは、ローテーブルに置いたストームグラスを、床に座って一心に見つめていた。災害なんか頭の端にも引っ掛かっていない。彼の周りだけやたらと熱が高かった。サーモグラフィーを使ったら、興奮が赤いオーラとなって映るんじゃないだろうか。
 好奇心は猫をも殺すなんてことわざをふと思い出した。僕は隣に座る。
「ずいぶんと育ったね」
 グラスの中身はてっぺんまで硬そうな結晶がはびこっていた。晴れの日はほとんど透明な水なのに、どこに隠れていたのかってぐらいだ。シダの葉に似た結晶はその指を大きく伸ばし、重なり合い、氷のようにも映った。両手の中に収まる世界が激変するというのは眺めていて楽しい。ウルフウッドは両手でグラスをつかむと揺さぶった。一部は衝撃でゆっくりと崩れたが、ほとんどは力強く枝を張っている。まだまだ気圧は落ちていくのか、大きく深呼吸するように体積を増やしていく。
「やっとやな。台風が来るのが遅すぎるっちぅねん」
 今の季節なら例年並みだと思うのだけれど、それだけ結晶の変化を楽しみにしていたのだろう。
 ウルフウッドの背中の方に片手をつき、そっと顔を寄せる。
「そんなに台風が待ち遠しかった?」
 やっと目を合わせてくれたウルフウッドは、一つ呼吸をすると赤くなり、もう一つすると青くなり、最後にやっぱり赤くなった。グラスを腹の上で抱え、腰を捻ってじりじりと逃げ始める。
「ち、ちゃうねん。ワイが言うてるんは本物の台風の方やから」
「うん」
 反対側にも手をついた。これでウルフウッドの体をサンドした形だ。両脚の間に片膝を置いて、伸びた距離を詰める。ウルフウッドは俯いて視線を彷徨わせた。
「せやから、ちゃうねん」
「危ないからこれはテーブルに戻そうね」
 ウルフウッドの腕からストームグラスを奪い、ローテーブルに置く。ウルフウッドは空になった腕を見下ろし、指を軽く開閉させた。
 手持ち無沙汰になって困っている手首をつかみ、僕の項に導く。
「オンドレ、ワイの話聞いてへんやろ!」
「ちゃんと聞いてるよ」
 目が合うと、ウルフウッドは呼吸を止めた。
「台風が待ち遠しかったんでしょ」
 そのまま押し倒したけれど、抵抗はされなかった。


 台風が直撃した時間帯は豪雨と暴風で家全体が揺れているんじゃないかと錯覚するほどの騒がしさだったが、今は目に突入したのか凪いでいる。それももう暫くすれば喧しさが戻ってくるのだろう。ウルフウッドは床に転がったまま鼻を鳴らした。
 この家の台風は、タオルを取ってくると言って洗面所の方へ消えた。飄々とした表情だったのが腹立たしい。
 横向きに寝そべったままテーブルを見上げる。奪われたストームグラスが鎮座していた。テーブルの天板に遮られて下半分は隠れているが、こちらのことなど素知らぬ顔で、台風に大喜びして結晶を伸ばしているのは丸分かりだった。忌々しいと舌打ちをする。
 ドアが開く音がした。部屋の空気がわずかに動く。すぐ傍でヴァッシュがしゃがむ気配がした。
「お待たせ。拭いてあげるからこっちむいて」
「待ってへん」
 もともと背けていた顔をさらにそっぽへ向けた。ヴァッシュは構わず肩を掴み、仰向けに転がす。
 碧色の目と視線がぶつかった。外の台風と同じく、そこは静かで穏やかだった。ふんわりと優しく微笑む。
 ウルフウッドは諦め、溜め息と共に全身の力を抜いた。お湯で湿らせた温かいタオルが頬を撫でてきて、安心する。
 つまるところ自分もストームグラスと同じく、台風が近いと結晶が大きく育つのだ。
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