僕は久々に怒った。自他ともに温厚だと認める僕がこんなに怒るのは珍しいんじゃないかと、後になって思ったぐらい怒った。でもその内容はものすごく子供じみたものだ。毎週楽しみにしていたドラマの、よりにもよって最終回の予約録画を、ウルフウッドが解除してしまったのだ。
 ウルフウッドはバイクや車には強いが、機械、特にソフトには弱い。機械音痴というよりアナログ脳なのだ。未だにテレビは叩けば直ると信じているし、折角スマートフォンを買ったというのに新しいアプリを一度もダウンロードしていないという有り様だ。テレビ録画に関してもビデオテープに保存する感覚が残っているらしく、いくら説明しても理解してくれなかった。それでもテレビに関心を持っていなかったから今までは問題なかった。だが珍しく興味を持った特番があったらしく、予約をしたかったが方法が判らず、僕もいなかったためリモコンをデタラメに押したらしい。自分が見たい番組は見事予約が出来たようなので満足したが、誤ってドラマの最終回の予約を解除してしまったことには気づかなかった。そして今回のケンカだ。感情に任せて叱ってしまったが、すぐに謝罪の言葉が出てくれば僕だって許した。けれど肝心なときにいなかったのが悪いと何故か僕が責められた。ウルフウッドの性格を考慮すれば僕の叱り方が悪かった自覚はあるが、最終回を逃した悲しみは重かった。こうなったら謝ってくれるまで絶対に口を利かない! と決めたのだ。
 小学生のようなこの怒りの表現は、ウルフウッドがよくやるものだ。僕たちは一緒に暮らしているからストレートで実に判りやすい。一緒のベッドで眠るのは相変わらずだけど、朝起きても挨拶せずにそっぽを向いて、朝ごはんも用意するけれど無言で食べて、もちろんおはようといってらっしゃいのキスもなしだ。夜も概ねそんな感じで過ごした。入浴中に僕が乱入してくるというイベントもない。
 正直、ウルフウッドの性格を考えるとこの表現は効果がないと思っていた。僕の無視程度、痛くも痒くもないだろう。仲直りするには僕が自分の気持ちと折り合いをつけて、そのうち自然といつも通りになるのがベストだろうと予想していた。
 しかし人間というのは、習慣になった出来事が不意になくなると不快感を覚えるらしい。数日経つとウルフウッドは狼狽えた。明らかにそわそわしだして面白かったんだけれど、ここで甘やかしたら同じことを繰り返すだろうし、謝るということを覚えた方がいい。僕は無視を続けた。
 するとある日、テーブルの上に妙な物を置かれた。長方形に切り取られたコピー用紙で何か書かれている。手に取ってみると汚い字で『なんでも言うこときいたる券』と書いてあった。その下に手書きで点線が引かれ、さらに同じ文字が二行書かれてあった。子供が作る肩たたき券の応用だ。二人暮らしなのだからこれを用意したのは子供じゃないともちろん知っている。これを作った経緯も、理由も。ゴメンの一言を記したメモすらなかったが、態度で示してくれたので許してやらないこともない。それになにより、と三枚綴りの券を口に当てながら胸中で密かに思う。
 折角のスペシャルな券だ。使わない手はない。


 実際にその券を使うことにしたのは、それから数日経ってからだ。理由はいくつかある。一つは準備が必要だったこと。なんでも言うこときいてくれるのなら、準備が必要なぐらい真面目なものをお願いしたい。二つ目は週末に実行したかったから。夜更かししても大丈夫な方が安心して楽しめるだろ? 三つ目はウルフウッドを焦らすため。あんなものを置いたら普通はすぐにリアクションがあると思うはずだ。でも気付いてくれなかったかのように反応が皆無ならば、誰だって不安になるに決まっている。他の謝罪方法も考えているかもしれない。意地悪かもしれないけれど、そういうときに使った方が効果的なのだ。
 待望の金曜日、それも夜になるとウルフウッドの落ち着きのなさはエスカレートした。今日もまたこのぎこちなさを抱えたまま一日を終えるのだろうかという頃、僕はウルフウッドを呼び止めた。右手には三枚綴りのなんでも言うこときいたる券を提示し、表情でまだ怒っていると主張するのも忘れずに。
「これ、今日三枚とも使いたいんだけど」
「お、おう」
 やっと反応があったことに、ウルフウッドは一瞬だけ嬉しそうな雰囲気を出した。仏頂面のままだし声も低いから僕以外の人間には判らなかっただろう。ささやかな喜びは、僕はまだ怒っていると察するとすぐに消えた。可愛いことこの上ないがここで表情を緩ませたら負けだ。僕はそのまま、これ着てと買ってきた服を渡した。ウルフウッドはそれを受け取り広げると、絶句した。
 僕は二つの物を渡した。一つはだぼだぼの黒いTシャツ。筋肉質なウルフウッドが着てもなお大きいサイズだ。背面の裾には猫の尻尾を模したふわふわのアクセサリーがついている。もう一つは猫耳カチューシャ。もちろん服に合わせて真っ黒なデザインだ。ウルフウッドの反応は予想通り、筆舌に尽くし難いとばかりに引き攣っていた。悪趣味な冗談だと言い出す前に、僕はチケットを一枚ちぎって差し出した。表情はもちろん怒ったままなのを忘れずに。
「ほら、さっさと着替えてよ」
 ウルフウッドは唸り続けたが、やがてチケットをそっとつまむとくるりと背を向けた。別室へ向かうらしい。
「ここで着替えれば?」
「いやや」
 ウルフウッドは未だに妙なところで恥ずかしがる。
 着るまでに勇気を要し、姿を見せるまでにまた時間が掛かると思っていたが、案外あっさりと戻ってきた。好き好んで着たわけではないと言い訳しているかのように唇を引き結び、顔を真っ赤にしている。頭のてっぺんには猫耳をつけ、忙しなく裾を引っ張っている姿は今すぐに抱き締めたくなるぐらい愛らしい。愛らしい、が。
「なんでズボン穿いてるの」
「穿くやろ、普通」
「だぼだぼのTシャツには穿かないよ、普通!」
 口論になったが、依頼するときに指定しなかったのが悪い、脱いで欲しかったらもう一枚チケットを使用するという方向で和解した。チケットは三枚とも使い道を決定してある。ここは僕が妥協するしかない。まぁズボンなんて後でいくらでも脱がせられるしね。
 チケットを一枚ちぎり、ウルフウッドに渡す。
「じゃあ次。僕の膝に座って。向かい合わせでね」
 これにも躊躇いを感じたのかウルフウッドは顎を引いたが、初めての経験ではないので素直に応じた。脚を開き、遠慮がちに座る。顔を伏せて目線を合わせたがらないけれど、僕は意に介さず腰に両腕を回し引き寄せた。二人の腹が重なる。僕は無遠慮にウルフウッドの太腿に手を這わす。やっぱりズボンはいらないと思うが脱がすのはまだだ。
 最後のチケットをウルフウッドの胸に押し当て、下から顔を覗き込んで微笑む。
「キミの方からたくさんキスして。とりあえず十五分ね」
 息が詰まる気配がした。僕がさらに顔を寄せると、ウルフウッドは軽く体を引いて逃げる。
「なんでも言うこときいてくれるんでしょ?」
「…………判った。十五分な。タイマーつけぃ」
「そんな風俗みたいなことしないよ。キミと僕の関係はそんなんじゃないもん」
 ぐぅっと呻き声が上がった。逃げられないように抱き締める力を強くする。
「ほらほら早く。時間稼ぎなんてセコイことはしないでよね」
「せぇへんわ」
 まずは口の端に唇が落ちた。物足りないがまぁいいだろう。十五分はそれなりに長い。次に目尻に口付けされた。次は額、鼻、頬。一つ一つ慎重に行う。確かに僕の依頼通りウルフウッドからの沢山のキスだけれど、こんなのでは満足できない。腰に回していた腕を下ろし臀部を鷲掴みにする。ヒッと短い悲鳴があがり、ウルフウッドの背筋はピーンと伸びた。
「んなとこ揉むなアホ!」
「じゃあ真面目にキスしてよ」
 低い声で小さく唸っていたが、やがてちゅっと軽く口にしてくれた。もっとと言うともう一度同じようにされ、足りないと文句をつけると長く押し当てるキスに変わった。離れるとき、ウルフウッドの唇を舌先で舐めたら弾けるように逃げられた。軽いキスだけで終わるはずがないことぐらい想像ついているだろうに。舌を出したまま見上げると、こちらの目的を正確に読み取ってくれた。ヤケクソみたいに唇を重ね、舌を入れてくる。僕の舌に擦り寄るようにしていたけれど、軽く吸ったら同じように返してくれた。ウルフウッドは痺れるようなキスよりもじゃれ合うように軽く吸うのが好きなのだ。
 息継ぎしながら何度もそうやって舌先を吸ってくれたけれど、僕が返さないと不安そうに唇を離した。息が届く距離でトンガリと小さく呼ぶ。僕はウルフウッドのズボンの縁に指を掛け、下着ごと脱がそうとする。慌てて手首を掴まれた。
「それはチケットが必要言うたやろが!」
「そうだね。でもそれは僕がお願いする場合だろう? キミの方から脱ぐ分にはいらないと思うんだけど」
 どうする? と微笑んで目線だけで問えば、ずるいやろと掠れた声が返ってきた。いつもいつも、僕がお願いするから、僕がして欲しそうにするからと責任転嫁して流されたふりをする方がよっぽど狡いと思うけれど。そろそろキミは素直に自分がしたいからするのだと態度を改めた方がいい。
 もう一度脱がそうとするとやはり掴む手に力を込められて阻まれた。体を預けるように僕に寄りかかり、肩口に額を当てた。彼にしてぼそぼそとした声で喋る。
「ベッドでなら、脱いでやらんこともないで」
 ズボンにかけていた手を離し、膝を抱き締めて立ち上がった。手の甲に尻尾があたる。
 ベッドの上では素直にズボンを脱いでにゃぁにゃぁ鳴いてくれた彼はそりゃぁもう可愛かったけれど、それを知っていいのは僕だけだからね。
スポンサーサイト



最近の記事