それは両手で持つぐらいの、ちょっと大きな電球だった。
 電球と言ってもフィラメントもアンカーもなく、白くも塗られていなかった。電球の形をしたガラス瓶を買ってきたのだろう。ウルフウッドはそれとちょっと重そうなビニール袋を提げて、庭へと続く床まである大きな窓を開けた。ひたすら安かったため庭用にと買ったビーチサンダルを適当に素足に引っ掛け、椅子のように床に座り、外を向いて電球の蓋を開ける。僕は後ろからその手元を覗く。
「なにしてるの」
「さあな」
 振り向いてもくれなかった。こんなときのウルフウッドは絶対に教えてはくれない。僕は玄関から外へ出て庭へ入り、彼の正面にたどり着いた。目の前でしゃがんで、両手をチューリップみたいにして頬杖ついて作業を眺める。電球は青空を映していた。
「なんや、そこまでして見たいんか。変態」
 やっぱり一瞥もしないで作業を続けるけれどニヤニヤと笑っている。見学は許してくれたようだ。僕は身じろぎもせずに見守る。蓋が外された電球は、一欠片の曇りもなかった。
 脇に置いていたビニール袋の中には土が入っていた。どこからとってきたのだろうか。皮の厚い手で掴むと、ゆっくりと電球の口から注いでいく。慎重な手つきに見えたがそれでも土は多少こぼれた。ウルフウッドの膝を汚し庭に落ちる。土は湿っていて、ふわふわと空気を含んで柔らかそうだった。それが電球を半分より少し足りないぐらいにまで入れると内腿の間に置き、両手を軽く叩いて土を払い落とした。今度はピンセットを手にする。
 ビニール袋に入っている土をよく見ると、苔とか侘び草とかも紛れていた。それらをピンセットでつまむと電球の細い口から内部へ入れて、土の上を埋めていく。ボトルシップみたいだ。
 瓶の中で船ができあがるように、無機物だった電球が呼吸を始める。
「テラリウムだ!」
 電球の中に世界を作ると、ウルフウッドは得意気に微笑んだ。
 そのままでは転がってしまう電球の側面に滑り止めマットを切って貼ると、出窓に飾った。日当たりのいいここには僕が育てている観葉植物をいくつか置いていた。そちらの方が断然背が高い。森の中にぽつんと異世界が生まれたみたいな空間ができあがった。このテラリウムを眺めるために、リビングの中央に設置していたラブソファを出窓に寄せた。背もたれに向かって膝立ちになり、出窓に両腕を乗せて眺める。ソファに座って酒を飲みながらテレビを見ることを楽しみにしていたウルフウッドは、勝手で小さな模様替えに大いに怒り、ローテーブルもソファに寄せた。テレビとの距離は遠くなったが、視力は良い方だったし、アルコールとつまみを摂ることができれば満足そうだった。
 テラリウムの水やりは、いつも僕が使っているブリキのジョウロを使っていた。てっぺんにピストンのボタンがついている小型のスプレータイプだ。仕舞わなくても見栄えするから、いつも出窓に置いている。電球の内部が乾いていると感じたら適宜与えているようだった。ウルフウッドが出かけているとき電球の内部を覗き込んでみた。土がなんとなく乾いていて、なんとなく侘び草がしょんぼりしているようだったから、電球の蓋を開けてひと吹きしてみた。ガラスの内側に大きな水滴がつく。手の平サイズの世界の、恵みの雨だ。それが中の様子を隠したが、しばらくすると重力に従い垂れ、テラリウムの様子が明らかになった。植物は生気を取り戻し、濡れた緑色の葉をピンと張っていた。色も心なしか濃
くなっている。僕はそれに満足して部屋の掃除をした。眼を離していたのは掃除の時間だけ、ほんの一時間にも満たない時間だ。掃除機をしまって出窓に戻ると、電球の中の様子が一変していた。侘び草が成長して空洞を埋め尽くしていたのだ。隙間なんてないんじゃないかってぐらいに伸びている。伸びすぎた背は電球のてっぺんにぶつかるとカーブに沿って頭を丸め、内側の密度が非常に高くなっている。ウルフウッドが世話をしているときはこんなこと一度もなかった。僕がちょっかいを出したことがバレてしまう! けれどどうやって誤魔化せばいいのかひらめかない。話しかけたり布をかけたりしてみたけれどダメだった。あたふたしているうちにウルフウッドが帰宅した。機嫌良さそうに僕が背中で隠し
ている電球を覗き込む。
「ちょっかい出すんやめてぇやぁ。ほんまに」
 歌うように文句を垂れると、入らないハサミの代わりにピンセットを電球の中に差し込んで侘び草の手入れをした。ぶちりぶちりと無造作にちぎっていく。成長しすぎてちぎられた葉先は外に出され、元の静かな姿に戻っていく。
 ひとまず怒ったり拗ねたりしなかったことに安堵した。
 ウルフウッドはいつも僕が観察しているようにソファに膝立ちなって、穏やかに電球を眺めている。小さく鼻歌を奏でると、短くなった侘び草がリズムに合わせて揺れた。

 電球の様子が変わった日は他にもあった。ウルフウッドが孤児院に帰省したときだ。僕達の家からは日帰りできる距離なので彼はよく帰郷する。実家に帰るなんて物騒な話じゃなくて、両手で抱えるほどのお土産を用意して遊びに行くのだ。僕もついていくことが多いけれど、その日は用事があって一緒には行かなかった。自分の所用を終わらせて帰宅すると、ウルフウッドはまだ戻ってきていなかった。彼は人気者で、家族のことが大好きだから帰りはいつも遅い。今日も遅くなるのだろう。僕はもはや日課となっているテラリウムの観察を始めた。ソファに膝をつこうとして硬直した。激変していたのだ。朝は確かにテラリウムだったのに、今はアクアリウムになっていたのだ。空気が入る隙間もないぐらい水
で満たされており、侘び草は水草へと変わって漂い、ネオンテトラが群れをなして泳いでいた。しかも時間が経つにつれて増えている。魚達は家族なのか仲が良さそうだ。僕は裏切られた気分になって、ソファの上で膝を抱いて丸くなっていた。何もしていないのに外が暗くなってきた。もう少ししたらウルフウッドは帰ってくるはずだ。それでもテラリウムに戻らなかったらどうしよう。こんなことになるんなら用事なんか放り出して僕も一緒に行けばよかった。心配になって振り返る。背の高い観葉植物に囲まれている電球の中身は水嵩がだいぶ減っていた。ネオンテトラも少なくなっている。その事実に僕はようやく安堵した。
 時間と共にさらに水も魚も減り、いつものテラリウムにやがて戻った。帰ってきたウルフウッドは、それはそれはもう上機嫌だった。土産だなんて言ってドーナツショップの箱をくれた。開けるとオールドファッションとフレンチクルーラーとイーストドーナツともちもちリングとチュロスがみっしりと入っていた。僕のことを完全に忘れた訳じゃないようだ。オールドファッションを食べかすがこぼれても大丈夫なように箱の上でかじる。
「キミ、僕のこと忘れてたでしょ」
「別に忘れてへんよ」
 嘘つき、と思ったがドーナツが美味しかったので許してあげることにした。

 面白かったのは僕が会社のパーティーで帰りが遅くなった日のことだ。
 宵も更け住宅街の明かりがぽつぽつと消え始める時刻に僕は帰路を辿っていた。よく晴れた初夏の涼しい風が吹き、アルコールで火照った体を冷やしてくれた。野良猫さえいない真っ暗な道路を千鳥足で、ときにはターンなんかもしながら歩いていた。なんてタイトルだったか思い出せない曲を鼻歌で刻むと、それは空をよく貫いて溶けた。こんなに遠くまで鼻歌が通る夜空はそれはそれは透きとおっているのだろうとターンしながら見上げると、ぽかんと口を開けて立ち止まるはめになった。僕は宇宙に行ってしまったのだ。
 紺をわずかに抱えた黒い夜空は、数えきれないほどの星を広げていた。星の中心は白いのに発している光は青い。硬いアスファルトを歩いていたはずなのに、踵からふわっと体重が消えてしまった。きっとあの星々は、世界中の希望を集めて、ぎゅーっと一つの星にして、それを砕いて、星屑にして、全世界に打ち上げたのだ。
 僕はどうしようもなく嬉しくなって、爪先立ちになって走って家に帰った。玄関の扉を開けると同時にポンッと跳んで、ジャケットの裾とネクタイを翻し、両手も上げて、背中をのけ反らせてしばらく宙に浮いてから、ゆっくりと爪先で着地した。踵まで静かに廊下を踏む。軽い体のままリビングへ向かう。
「ウルフウッド!」
 テレビを見ながら寛いでいる愛しい彼に飛びついた。ウルフウッドは僕のことを一瞥もしなかったし、微動だにもしなかった。それでも僕は両腕で抱き締めるだけじゃ物足りず、両脚も胴体に絡ませる。頬ずりをするとやっと反応してくれた。鬱陶しそうに顔を離す。
「酒臭い」
「お酒好きだろう。それに、僕も」
 首に回していた腕で頭を抱え込み、吸血鬼みたいに首筋に吸い付く。すると後頭部を掴まれ、乱暴に引き剥がされた。強制的に天井を眺めさせられることになった。
「邪魔や酔っぱらい。さっさと寝ぇ」
「あのね、今日凄かったんだよ」
「酒と飯がか。切り落としスモーク食っとるワイへの自慢か」
 テーブルへ目を向けると、安い発泡酒と封の開いたお肉のパックが置かれていた。確かに今日のパーティーと比べたら貧相だ。お持ち帰りできたならあの分厚いハムを食べさせたかった。でも僕がいま言いたいのはそれじゃない。胡座をかいたウルフウッドの上に座り直し、首に両腕を回して正面から見つめ合う。仏頂面の彼ににっこりと微笑む。
「凄いのは星空! 夜って真っ暗じゃない? そんな中に白くて青い星がいっぱいあってね、どれもピカーってなってて、凄い力でね。あれは希望だよ、希望!」
「意味判らんわ酔っ払い」
 頬を手の平で強く押された。頑張って抵抗してみたけれど負けて、僕は床にごろんと倒れた。
 その後の記憶はないから多分ウルフウッドがベッドまで運んでくれたんだと思う。翌朝は二日酔いでしばらくベッドの上で唸っていた。二人で一つのベッドを使っているのだけどウルフウッドはいなかった。珍しく先に起きたらしい。僕もふらふらとベッドから這い出る。
 リビングに辿り着くとそこにウルフウッドはいた。昨日の延長線のようにスルメを咥えていたが、昼間だからと自重したのかお酒はない。僕もソファに座ろうとして、テラリウムが視界に入った。思わず、細く長い歓声が洩れた。
 電球の中に夜空が生まれていたのだ。柔らかな土はいつもより濡れて黒くなっている。その表面、まばらに生えている侘び草の隙間で青い砂粒と白い砂粒がきらめいていたのだ。宝石みたいだ。思わず手に取る。
「わぁ! きれい。キミも見たいと思ってくれたの」
「思ってへんわ」
「今のだけでなんのことか判ったんだね」
 そう告げるとウルフウッドは渋い顔で舌打ちし、押し黙った。酔っ払い扱いしててもちゃんと話を聞いてくれていたのだ。
 電球の手の平の上で軽く傾けると、ガムランボールみたいな涼やかな音がした。耳を近づける。砂粒の輝きが強くなったり弱くなったり、呼吸しているみたいに変わった。ガムランボールの音も、一つだったのが増えた。耳を寄せたままウルフウッドを見遣る。
「今度、一緒に夜の散歩にでも行こうか」
「行かへん」
「じゃあ泊まりがけの旅行とか」
「行かへん」
「んーと、それなら」
「行かへん」
「ケチ」
 僕らは次の大型連休に、星がよく見えるという山へ旅行することに決めた。

 面白かった出来事はもう一つある。僕らがケンカしたときのことだ。
 一緒に暮らしているからケンカはしょっちゅうある。冷蔵庫にしまっておいたお酒やデザートを勝手に食べただとかまだ読んでる途中だった雑誌を処分してしまっただとか、仕様もないことだ。今回のケンカも似たようなものだった。
 非があるのは明らかにウルフウッドだったけれど、自分は悪くないと自我を貫いた。でんっと横柄に座って、反省する気配はない。そんな態度をとられると僕としても頑固な姿勢を取らざるを得なくなる。つまり子供のケンカだ。
 そういう諍いは日数が経つにつれてなんとなく元通りになるのだけれど、今回はちょっと面白い解決の仕方をした。僕はいつもの習慣でテラリウムを覗き込んだときだ。
「あれ、牛の骨が落ちてる」
 それは小指の先ぐらいの、小さな頭蓋骨だった。
 土の奥は湿っているけれど表面はカラカラに乾燥していてひび割れていた。かろうじて生えている植物は萎びて首を垂れている。色褪せた草叢の所に、白い骨が転がっていた。大きな曲線を描く角が冠みたいになっている牛の頭蓋骨、その後ろに肋骨や背骨や脚の骨などが落ち、ぐったりとしていた。元気があれば骨だけでも歩いてくれるだろうけれど、これは無理そうだ。指先でコツコツ叩いてみたけれど案の定無反応だった。
「んなわけないやろ!」
 慌てたのはウルフウッドだ。駆け寄ると電球を奪った。僕に見られるのが嫌なようで、ちょっとソファから離れて至近距離で中身を覗く。ソファの位置からでは中身が変わった様子はない。ウルフウッドの顔が青くなったり赤くなったりする。
「おい、何くたばっとんねん。さっさと起きや!」
 発破をかけるが起きなかったようだ。骨の方がよっぽど素直だ。僕は肘掛けで頬杖をついて、呆れきった態で見上げる。
「キミってさー」
「知らん」
「僕のこと大好きだよね」
「ちゃうわボケ!」
 ウルフウッドはなおも牛の骨を起こそうと汗を掻きながら話しかけ続ける。
 とっても素直な電球と、可哀想なぐらい必死な後ろ姿に免じて今回のケンカは許してやることにした。

「なぁ、オンドレは育てへんの。ワイばっかずるいやん」
「ずるいって、キミが勝手に始めたんでしょ」
 ウルフウッドはソファの隅の隅の隅にまで体を寄せて小さくなっていた。僕が淹れたてのホットコーヒーを渡すと、迷惑そうに受け取りすぐに口をつけた。いつも通りに隣に座ると、僕との間に普段よりも距離ができる。
「あないなことになるなんて思っとらんかった」
「面白いよねー。キミのテラリウム」
 砂糖とミルクたっぷりのカフェオレを機嫌よく飲むと、隣からゲシゲシと脇腹を蹴られた。縮こまるか大きくなるかどっちかにして欲しい。おかげで少しこぼれて服が汚れた。ティッシュで染みを抜く。
「そもそもさー、僕が育てるとしたらどんな形? やっぱり十字架? シャーレみたいな蓋付きの」
「墓場みたいやな。ええんやないの、墓石置いて作ったれば」
 自分から提案してきたくせに心底どうでもよさそうにコーヒーを飲む。僕は染み抜きをしながら大きく口を開ける。
「やだよそんなの! 不吉じゃないか。それに作るとしたら小さいお花が敷き詰められてるのがいいし」
「お花畑やなぁ」
「それはテラリウムの事? それとも僕のが頭がって言いたいの」
 唇を尖らせると嬉しそうに笑った。彼はこんなときだけやたらと素直だ。
 僕はティッシュを捨て、マグカップを持ったまま片手で電球を掴む。
「可愛くないなぁ。こっちはこーんなに可愛いのに」
「やめややめ。それ廃棄や。なんなら土に埋めたる」
 わざとらしく電球を可愛がると、ウルフウッドはパタパタと手を振った。そんなつれない態度を取ったって手遅れだ。
「駄目だよ。だって、ほら」
 電球の中身がよく見えるように傾ける。茶色い土と緑の草の世界にぽつりと生まれた、赤い点。それを見つけたらどうにも頬が緩んでしまった。
「赤いゼラニウム、咲いてるよ」
 ウルフウッドはこの世の終わりみたいに縮こまり頭を抱える。ブラックコーヒーが盛大に零れた。僕はたまらなく彼が愛おしくて、目尻に涙が浮かぶほど大笑いした。
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