「トンガリ、起き。行くで」
 肩を叩かれて僕は眼を覚ました。頭まで乱暴に掛けられた毛布の中でもぞもぞと動き、寒さと戦いながら頭を出す。壁掛け時計を見上げると針は一時の少し前を示している。今年も繋がったまま新年を迎えるという暴挙を達成できた記憶はあるから、一時間も眠っていない計算だ。これはうたた寝で、毎年恒例のことだから予想通りだ。手加減したこともありウルフウッドはケロッとしている。先程までの情熱さなんかカケラも残していない。眠っている僕を置いてさっさとシャワーに入ってしまったのだろうか。僕は眠たい眼をこすり、大きな欠伸をし、一番暖かいセーターに着替えて出かける準備をした。もうとっくに準備を済ませているウルフウッドと家を出て玄関の鍵を閉め、連れ立って歩く。冷気が顔面を直撃した。
 今年の元日はよく晴れてくれた。空に雲はなく瞬く星がよく見える。流れ星が降ってきたら捕まえられそうだ。お陰で暖かい空気は宇宙へ飛び立ち気温はぐっと低く、僕は両手を口に当てて白い息を吐きかける。いつも仕舞っている場所に手袋がなかったのだ。他に置きそうな場所を捜しても見つからなくって、帰宅したら丹念に家中を調べるか、新しく買い直さないと冬は越せない。
 放っておくと指先がかじかむ寒さだというのに、ウルフウッドが手袋を使うタイミングは気まぐれだ。指先の感覚がないと不便なのだと言う。今も着けていないようで、コートのポケットに両手を突っ込んでいた。僕がぐるぐるに巻いてやったマフラーから口を出し、はぁーっと白い息を吐き出して遊んでいる。鼻が真っ赤に凍っているのだからマフラーにもぐればいいのに。僕はもう一度自分の指を息で温める。
 真夜中の住宅街はいつもなら不気味というかなんとなく背後が気になったりするけれど、今日はどこの家も明かりが点いている。友達で集まっているのか家族の団欒か、笑い声も道路まで零れた。
 僕らが向かっている先は近くの神社だ。歩いて行ける距離だがそれなりに大きく、毎年この日は賑わっている。夜から翌日まで開いているのだから神主さん達は大変だ。
 神社が近づくとさざなみのような話し声が聞こえるようになった。言葉は拾えないのに確かに人の声だと判るのはほっとするものだけれど他に音はないものだから、明かりと共にぼんやりと滲んでいるそこだけ、まるで異世界に繋がっているみたいだと毎年思う。僕らはもうすぐ異世界に入るのだ。
 入り口では甘酒が振る舞われていた。ウルフウッドはそれを無視して神社の敷地に入る。僕は礼だけをして彼の後を追う。
 お賽銭を入れるスペースはかなり拡張されていた。大きなプールみたいな木枠の中に、青いレジャーシートが敷かれている。小銭はもちろんお札もすでに数枚入っていた。僕達は人の波の一番後ろに並んで、途切れない波の一つになる。ウルフウッドは財布を取り出して中身を検めた。
 初詣という元日のイベントは、毎年ウルフウッドが主体で行っている。彼が信心する宗教は違うはずだけれど、八百万の神はどうだとか、この程度で目くじら立てるほど神サンの心は狭くないだろうとか適当なことを言って、このささやかなお祭りを楽しんでいる。彼もこの異世界が好きなのだ。
「トンガリ、ちゃんと小銭用意しとるか」
 小銭入れの中を指で掻き回しながらウルフウッドはそう尋ねてきた。指先で拾っては手の平で握っている。取り出しているのは五円玉ばかりなのだろう、普段はずぼらなくせに、こういうことには細かいのだ。
 僕も自分の財布を開けて中を確認する。
「えっと…………五枚しかない」
「ダアホ。ちゃんと用意せぇって毎年言っとるやろが」
 そう罵るとウルフウッドは僕に四枚の五円玉をくれた。お賽銭の金額に意味があることはウルフウッドに教えてもらった。十円玉は縁を遠ざけてしまうから使うなというのもだ。この日のために僕の分までせっせと五円玉を集めていた姿を想像するとなんだか微笑ましい。それが素直に表情に出ると、なにニヤニヤしとるんや気持ち悪いなどと平気で罵倒してくるけれど、原因はウルフウッド自身なのだ。もう少し言動には注意してもらいたい。それを告げるとピコピコと怒り出すので黙っておくが。
 波が進み、僕らの番が来る直前、ちゃんと住所と名前を告げるんやでと注意が入った。そうしないと神様が誰のお願いか判らないんでしょと返す。ウルフウッドは前を見たまま頷く。これも毎年恒例のやり取りだ。
 小銭がなるべく遠くの方に飛ぶようにぶん投げて手を合わせる。遠くに飛ばす必要はないと過去に指摘されたけれど、一年に一回の、それもおめでたい事柄なのだから勢いを付けたいのだ。小銭が落ちるのを確認してから両手を合わせて、今年も一番大切なことをお願いする。ウルフウッドも隣で真剣に手を合わせる。何をお願いしたのかは毎年互いに言わないけれど、同じ事だったらいいなと思う。
 参拝が終わると次はおみくじだ。迷子にならないようにウルフウッドのコートの裾を掴む。ウルフウッドは迷惑そうに一瞥したが何も言わなかった。
 おみくじ売り場も並んでいるが窓口は多く、巫女さんも慣れた手つきで対応している。僕達の番はすぐにやってきた。僕は念じながら角柱のおみくじ箱を両手でたくさん振った。たくさん振った方が最高の運がやってくる気がする。ウルフウッドはそれに対して片手で適当に振るだけだ。僕が誘わなくても参加したのだから興味はあるはずなのだけれど、多く振ったところで大吉が来るわけではないと、リアリストの彼は考えているのだろう。
 箱を逆さにするとみくじ棒が出てきた。先端の数字を確認する。
「…………十三だ」
「不吉やなぁ」
 ウルフウッドは二十六だ。一見無難な数字に思えるが、これは十三の倍数だ。余裕でいられるのも今のうちだ覚悟して欲しい。
 整理箱に向かい、それぞれ自分の番号のくじを取り出す。僕の結果はなんと言うかまぁ、そのまんまだった。両の口角を下げる。
「新年そうそう凶を引くなんぞ、さすがやな」
 ウルフウッドはいたずらっ子みたいに笑った。僕は頬を膨らませる。
「そういうキミはどうだったんだよ」
「ワイ? ワイはもちろん……」
 そう言ってくじを確認するとウルフウッドは笑顔のまま固まった。僕は首を伸ばして覗きこむ。
「わぁ! お揃いだね」
 くじの上にはでかでかと、僕と同じ文字が書かれてあった。ウルフウッドはフンッとそっぽを向く。
「凶っちぅんは確率が低いんや。せやから逆に縁起がええんやで」
 子供が言い訳しているみたいな態度だったものだから、僕は大いに笑った。ウルフウッドはもう一度鼻を鳴らす。
 整理箱のあたりに新しい人が集まってきた。通行の邪魔にならない位置にずれ、頭をつき合わせてくじの内容を見比べる。
「あ、僕のは待ち人来ずだって」
「なんや、まだ兄貴と決着つかへんのか」
「彼だとは限らないでしょ? キミの方は商売は利益を求めるなだって。わぁ、金運も最悪だね!」
「喧しいっ。んなもんどうとでもしたるわ」
「あ、でも出産のところは安産って書いてあるよ、良かったね!」
「何がや」
 二人とも凶なだけあって、少しずつ内容は違うものの肩を落とすようなことばかりが書いてある。それでも笑い合えるのは、好きな人が隣にいて、一緒に支えてくれると信じられるからだ。
 もうそろそろおみくじの時間は終わりにしようと思ったところで大切な項目に気付いた。僕は顔をパッと明るくする。ウルフウッドはそのことに気付いていたのだろう、複雑そうな顔で僕を見遣る。
 恋愛の項目には、二枚ともまったく同じことが書かれてあったのだ。
『この人となら幸福あり』
 僕は嬉しさのあまり頬が痛くなるほど綻んだ。ウルフウッドはそこには一切触れず、仏頂面で歩き出す。
「ほれ、さっさと結び付けするで」
 彼はとっても恥ずかしがり屋だ。
 おみくじ売り場のすぐちかくにあるみくじ掛は、もう沢山の結び目が出来上がっていた。二本の柱の間に渡した縄はずっしりと重そうだ。おみくじも一枚ならば片手で簡単に丸めることができるけど、これだけ沢山あると迫力があって、確かに神通力だとか人に非ざる力だとかが宿っていそうだ。僕は縄の隙間に自分のを結びながら、悪いところは良くなりますように、ウルフウッドも幸せになりますようにと念じる。
 これが終わると、やることはあと一つだけだ。
「甘酒持ってくるね」
「あぁ」
 僕は跳ねるように入り口に戻って、大きな鍋を掻き回している巫女さんから二人分の紙コップを貰い戻る。ウルフウッドはみくじ掛の近くにはいなかった。邪魔になるからどこか端っこに避けたのだろう。勝手に場所を離れるとき、ウルフウッドはどこへ移動するかを伝えない。意地悪でもいたずらでもましてや試しているのでもなく、僕なら見つけられると信じているのだ。それは正解で、僕は今まで一度も降参したことはない。
 神社には喫煙ルームはないため、ほんの少しだけ難易度が上がる。ここには沢山の人がいて、話し声だらけで、手がかりなんてどこにもない。僕は周囲をぐるりと見渡す。友達同士で来ている人、子供の手を引いている親子、一人で参拝している人、カップル、老夫婦。着物姿の人もいて切れ目なんてどこにもない。ウルフウッドは動いているのか止まっているのかも判らない。しかも黒いコートにボルドーのマフラーだ、風景に溶け込みやすい服装をしている。
 それでも僕は、ピタリと視線を止めた。まっすぐに歩く。
「はい、お待たせ」
「ん」
 太い柱に凭れていたウルフウッドは、さも当然のように受け取った。僕も同じように凭れて甘酒をすする。
 ウルフウッドは甘いものが苦手で、それは甘酒も同様なのだけれど、この日、この時の甘酒だけは飲む。つまらなそうな顔をしているけれど、彼にとってもこの日の甘酒は特別なのだろう。
 飲みながら、湯気の向こうを眺める。ここに来ている人達はみな違う姿で、年齢で、関係で、仕事で、こんなに沢山の人がいるのに、二十四時間三六五日笑っていられる人など、ただの一人もいないのだろう。特に深夜の今は寒くって、耳が真っ赤で鼻が凍っていて呼吸をすると痛い。この寒さを幸せだと感じる人は滅多にいないだろう。
 でもここにいる人達はみんな、笑っている。ぼんやりとした明かりはまるで祝福みたいだ。
 カップに口を付けたまま隣を見遣ると、ウルフウッドはいつもの調子だった。甘酒で口の中が温まり、吐く息がまた白くなっている。鼻が赤いのは少しは解消されただろうか。彼にも祝福の光は落ちている。
 ウルフウッドの方が先に飲み終わり、空になったカップを僕に寄越した。それを受け取って、飲みかけの自分のカップに重ねる。ウルフウッドを盗み見しながら、ちまちまと甘酒を飲む。
「そんなに熱いか?」
 僕が中々飲み進まないのは、熱いのを冷ましているからだと勘違いしているのだ。だから僕はうんと首肯した。盗み見することはやめなかった。
 なるべくゆっくり飲んだけれど、終わりの時間は必ずやってくる。冷えきった甘酒を飲むのは本意ではない。残り僅かになると一気飲みをして、カップの中を空にした。ゴミ箱は甘酒を配布している入り口にある。あとは帰るだけだ。家に帰っても僕達は当然一緒にいるんだけれど、祭りの時間にさよならを告げるのはやっぱり寂しい。
 ウルフウッドは一歩を踏み出した。見慣れた背中は、今にもどこかへ消えてしまいそうだ。家に着いてしまえばそんなの錯覚だと判るのに。肺を満たす空気が冷たい。
「ほれ、さっさと帰るで」
 ウルフウッドは振り向くと、片手を伸ばした。パチクリと瞬きしていると、さっさとしいやと手を奪うように握り、自分のコートのポケットにしまう。そのまま歩き出すものだから、僕はつんのめりそうになる。
 出口へ向かい、鍋を乗せたテーブルに貼り付けられている透明の大きなビニール袋に空になったカップを捨て、来た道を戻り、道路に人気が薄くなってもウルフウッドはずんずん歩く。こちらの歩調などちっとも気にしてくれない。こちらを向く気配のない耳が赤いのは、寒さのせいだけだろうか。
 顔も剥き出しの手も寒いのに、ポケットに収まっている手だけが暖かい。あの場所を離れたのに、まだ異世界にいるみたいだ。
「僕達、恋人同士みたいだねぇ」
「次似たようなこと抜かしたら張っ倒すで」
 これは恋人同士という部分ではなく、みたいという部分に反応したのだ。僕は嬉しくってくすくす笑う。ウルフウッドは悪態をつく。
「来年もこうやって過ごせたらいいねぇ」
「今年が始まったばかりやろうが。鬼が笑うで」
「いいじゃない、みんな笑えばラブ&ピースだよ」
「アホが」
 嬉しくって堪らなくって僕はずっと笑いながら帰路を歩いた。いつもならば近所迷惑になるけれど、今日という晩は特別で、どこの家も楽しそうに夜更かしをしているから叱られることはなかった。なんてったって、今日はおめでたい日なのだ。僕はぎゅっと繋いでいる方の手に力を込める。同じように返ってくる。
 雲一つない満天の空の下、僕達は今年も二人一緒にいる。
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