僕の生活に、突然一人の男と一匹の黒猫が紛れ込んだ。
 雨の日に泊まらせてくれと我が家に押しかけた男は、真っ白なシャツに真っ白な麻のスラックス姿で、両手で猫の脇を掴んでいた。猫はそういう持ち方をされることに慣れているのか暴れる素振りはなかったが、青い瞳を不機嫌そうに細めていて、猫を飼ったことのない僕でも怒っていることがよく伝わった。
 突然の来訪者にいいよと返事をしてしまったのは、人も猫も夢の住人のようで、全く存在感がなかったからだ。朝起きたらなんの痕跡もなく消えてしまうだろうと、何故か疑問もなく思った。そのぐらい彼らには重量がなかったのだ。
 そうして雨の日に一晩だけ泊めるつもりだった彼らは、どういうわけかそのまま居ついてしまった。
 初めて来たときは確かに手ぶらだったはずだが、いつの間にか餌皿が増えていた。白いプラスチックに丸みを帯びた十字架がプリントされているもので猫らしさは皆無だったが、細かい傷がいくつもついていたから、昔から愛用していたものなのだろう。時間になるとドライフードを彼が与えていて、たんと食えよなんて言葉もかけていた。僕には無愛想だが、猫には愛想がかなり良い。
 彼はいつも真っ白な服を着ているが、黒髪と褐色肌のせいか、黒猫のイメージがある。イメージの通り、気まぐれだ。
 猫のように好きな時間に起きて、好きな時間に寝る。布団も用意しているのだが床で寝ることが多い。黒猫と同じように丸まって寝るのが好きなようだ。それでは熟睡できないだろうと気遣いもしたが無視された。好きなだけ寝て、くあっと大きな欠伸をして起きると、冷蔵庫を開けて勝手に調理を始める。一品だけ大量に作り、大皿に盛る。僕に勧めることはしないけれど食べるなとも威嚇されないから、自分の取り皿とフォークを持って正面に座る。大皿の山にフォークを突き立てる。そうやって一つの料理を二人で食べる。
 片付けは嫌いなようで僕の仕事だ。起きてもお腹が空いていなかったら作ってはくれない。猫と遊び出すから、僕がしばらくしてから調理する。とても判りやすい。
 黒猫の方は、彼が用意したものでなければ餌も水も口にしない。彼からなら手の平からでも食べるし、おやつをわざと取れない高さにまで掲げると肩や頭に乗ってまで食べに行く。それが可愛くて僕も真似してみたのだけれど、どれだけ目の前でおやつを振っても、一瞥するだけですぐに眠ってしまった。飼い主だと認めるつもりはないらしい。黒猫の目の前で僕はしょんぼりする。男は機嫌が良くなる。
 男は部屋の掃除も嫌いなようだが、洗濯物を干すのは好きなようだった。よく晴れた日に、ランドリーバスケットの中はもちろん、頼んでもいないのに家中のシーツやタオルを回収され、狭い洗濯機の中に放り込まれた。ゴウンゴウンと回っている間は退屈そうにその前で膝を立てて座り込み、顎を両手で支えて待っていた。黒猫もつまらなそうにその隣で昼寝をしていた。ご飯も餌も水も飲まず暇潰しさえもしなかった。
 甲高い電子音を立てて洗濯機が完了を告げると、一つの大きな固まりになった洗濯物をカゴの中に全部移して庭へ向かった。猫も起きてその後を着いて行った。
 物干しは庭のど真ん中にある。僕はいつもサンダルを履くのだけれど、彼は裸足のまま芝生を踏んだ。そして何が気に喰わないのか、竿を掴むとポイポイとその辺に捨て、代わりに太いロープを渡した。少したるみを持たせて固定すると腰に両手を当てて満足気に頷き、ベッドシーツを大きく広げた。
 青空を真白いシーツが泳ぎ、陽光が歓迎するように眩く降る。
 あまりにも印象的な光景だったから、そこだけ何度でも再生できる。記憶を映写機に移すことができたら、飽きもせずずっと繰り返していただろう。バタバタと翻るシーツの音も心地よい。
 ご機嫌で干し終わった彼は畳むのは苦手だったようで、どうにもぐしゃぐしゃになってしまうものだからこれも僕の仕事になった。
 僕と彼と一匹の生活はリズムを刻み始めた。
「この子の名前なんて言うの?」
「そんなもんあらへんよ」
 猫じゃらしで遊んでいる隣に僕もしゃがみ込み、そう質問したらにべもない答えが返ってきた。僕となんかよりずっと仲良しそうなのに。
 黒猫は猫じゃらしにパンチを連打し、男はその様子に笑っている。愛情が足りないのとは違うみたいだ。
「呼び名がないと不便じゃない?」
「こいつ、お前、オドレ。それで充分やん」
「それじゃぁ僕と区別がつかないよ」
 ふむ、と考える素振りをしてくれたが、猫じゃらしを目掛けて飛んだ黒猫が彼の顔面に着地したのでその会話は打ち切りになった。黒猫と男がケンカすることもあるのだとそのとき初めて知った。
 後日、彼が寝ている間に黒猫が一番気に入っている猫じゃらしを無断で拝借して、目の前で振ってみた。これなら僕とも遊んでくれるんじゃないかと思ったのだが、一瞥しただけで起き上がってくれない。でも耳はこちらを向いている。もうちょっと気を引けば勝てるかもしれない。
「ねこらす、ねこらす」
「…………なんや」
 聞き間違えたのか、猫よりも彼の方が先に起きてしまった。不機嫌そうに後頭部を掻いている。
「キミじゃないよ、猫の名前」
「はぁ? なんやそれ。勝手に人の名前使うな」
 寝起きのせいか、いつもより眉間の皺が深く禍々しい。もしかして怒らせてしまっただろうか。様子を窺っていると、手を引っ張られる感覚があった。頭を戻す。黒猫が鬱陶しそうに猫じゃらしを殴ったのだ。遊びとは明らかに雰囲気は違うが、それでも反応してくれて嬉しい。ねこらす、ねこらすと呼びかけながら猫じゃらしを振っていると、男は世界に裏切られたように不貞寝した。黒猫の方はとうとう怒り、猫じゃらしではなく僕の手を直接攻撃した。手の甲に爪痕が残った。それに罪悪感を持ったのか単なる気まぐれなのかは不明だが、ヒリヒリする傷が消える頃には無視から退屈そうに眺めるにまで譲歩してくれた。でも眠いときにはお構いなしに丸くなった。他人から知人に格上げと言ったところだろうか。
 居座るようになった男はどうやって稼いでいるのか知らないが、月に一度、まとまった金額をテーブルの上にいつの間にか置いてくれていた。ギャンブルなのか日雇いバイトなのかはたまた如何わしかったり危険だったりする仕事でもしているのか、何も教えてくれない。ならば訊かない方がいいのだろうと放置しているが、飼い猫が散歩に出掛けると方々で違う名前で呼ばれて餌を沢山貰って、知らないうちに脂肪として蓄えているような不思議な感覚があった。
 黒猫の方は、男がふらりと出掛けても必ず帰ってくると確信しているのか、どっしりと構えて丸くなっていた。未だに僕のことは飼い主扱いしてくれない。
 そんな黒猫にとって僕が遊び相手になるのは不服だったようで、白猫を連れ込むようになった。首輪はしてない。毛並みは整っているが野良だろうか。男は何も言わずに餌皿にドライフードをいつもより多めに入れた。二匹揃って頭をそこに突っ込んだ。
 白猫は甘えん坊らしい。クールな黒猫に鼻先を押し当て、構ってとアピールしている。しかし黒猫は丸くなったまま顔を上げない。みぃみぃと鳴き出すと、男は黒猫が気に入っているおもちゃを引っ張り出して白猫の前でちょこまかと動かす。白猫はそちらで遊び出す。そうやって交流を深めると、白猫は男にも鼻先を押し当てるようになった。大きな褐色の手で頭を包むように撫でられると、碧色の目を気持ちよさそうに細める。ぼくはその光景にほっこりし、わくわくとした羨望も一緒に生まれる。僕もおもちゃを借りて白猫の前で振るけれど、小さな頭を揺らしながら眼で追いかけるだけでパンチはしてくれない。必死になって動かしていると、本来の持ち主である黒猫に怒られる。自分のおもちゃを使われると男に対しても怒るが、それよりも剣呑だ。僕は猫と仲良くなる素質がないのだろうか。
 お客さんとしてもてなしていた白猫も、この家で寝泊まりするようになり、気付けばいっぱしの住人面をしていた。餌皿も二つに増えていた。白猫のは赤いプラスチックで、デフォルメされた翼が白くプリントされている。男は今日もドライフードと水を二匹分用意する。
 白猫と黒猫の仲は息の早さで深まっていった。無愛想を貫く黒猫の後を白猫はみぃみぃにゃぁにゃぁ着いて歩くだけだったが、鳴き声がしなくなると無愛想な黒猫は後ろを振り向いて確認するようになり、頭突きをして促し、今では肩を並べて歩いている。白猫に頭を擦り寄せられると物凄く迷惑そうな顔をしたが、逃げたり威嚇したりするようなことはなかった。
「いいなぁ」
 しゃがみ、両手で顎を包みながら呟く。安泰で幸せな光景だ。
「なんや、オンドレも猫になりたいんか」
「違うよ」
 僕はぷいと横を向いた。男は溶けるチーズを山盛りにして焼いたトーストを、のんきに糸を引きながら食べた。
 鈍感な男の復讐は唐突に始まった。
「とんがり、とんがり」
 振り返ると、男は新しいおもちゃを白猫の前で振り回していた。白猫用に買ってきたようだ。白猫は後ろ足だけで立ち上がり、おもちゃに集中している。おもちゃに付いている小さなぬいぐるみを捕まえたいようだが、パンチするのが精一杯なようだ。
「不器用やなぁとんがりは」
「とんがりって、その猫の名前?」
 男は答えない。絶対に聞こえているはずだが、わざと聞こえないふりをしているのだ。横から顔を覗き込む。
「なぁに、ねこらすって名づけた仕返し?」
「なんのことや」
 こっちを一瞥すらしない。笑顔で白猫と遊ぶだけだ。
 僕はいいけれど、白猫が僕のことか自分のことか判別できなくて困るんじゃないだろうか。
 白猫がぬいぐるみを捕まえられるように、振り回しているおもちゃを三本の指で止める。やっと両手で捕まえた白猫は、バランスを崩してそれにぶら下がる。男は大げさに褒めてやる。
 やがて白猫は、自主的に男の襟から胸元に入るほど懐いた。甘えん坊なこの子は常に隣に誰かがいることを望む。だから僕の視界はいつも微笑ましい。
 二匹の名前も無事に決まり、のろとろと白い生活を続けていると、猫達がやたらと鼻先をくっつける動作をすることに気付いた。調べると猫キスと呼ばれているものらしい。猫にとって挨拶にあたるものだそうだ。他にも、匂いを嗅いで情報収集だとか、構って欲しいってアピールの意味合いもあるそうで、つまりは仲間だと認めている相手にすることが多いみたいだ。
 黒猫が男に鼻キスをするときは、だいたいお腹が空いているときだ。男もそれに気付いているのか、すぐにドライフードを持ってきて餌皿に開ける。あとは白猫が顔を近づけたときに応える程度だろうか。鼻キスをする回数よりも、床に寝転がっている男に頭突きしてどかそうとすることの方が多い。それでもやはり、男の傍に常にいる。
 白猫の方はしょっちゅうキスをしている。黒猫と目が合えば鼻先を合わせ、黒猫がそっぽを向いても追いかけて鼻を合わせ、邪険にされると胴に鼻をめり込ませている。男に対しても似たような調子で、鼻キスをしては餌をもらい、鼻キスをしては撫でてもらい、鼻キスをしては遊んで貰っている。僕には餌をねだるときにしかしてくれない。
 一人と二匹は、一緒に寝ることが多い。フローリングの床に転がって、レースカーテン越しの柔らかい日差しを浴びる。彼らにふんわりとブランケットを被せてやるのも僕の仕事なのだけれど、ある日みんな揃って同じ寝相になっていて、どうしようもなく嫉妬してしまった。
 僕だってみんなと一緒に暮らしてるのに!
 猫みたいに四つん這いになって近づく。猫達を手で踏まないように慎重に手を置く場所を選び、ブランケットで滑らない強さでにじり寄る。男の寝顔は健やかそのものだ。寝息が鼻にかかる。
 そのときの行動は衝動というのか、魔が差さしたというのか。
 ちゅっと触れ合わせたのは、鼻ではなく唇だった。
 安定した寝息のリズムを刻んでいた男も目を覚ました。真黒い眸を丸くし、ぱちぱちと瞬く。僕の体の下では猫が寝返りも打たず眠っている。彼はどんな反応をするのか。息を潜めて構えていたが、何事もなかったように目を閉じて再び眠ってしまった。ブランケットに僕も潜る。その頃には男の寝相は変わっていて、みんな同じポーズにはならなかった。
 数日経つと猫達の関係が少し変わった。黒猫と白猫はいつの間にかケンカをしたらしい。怪我をするような引っ掻き合いはなかったけれど、互いにツンと顔を背けてしまう。猫の世界も難しいみたいだ。
 白猫がやってきてからというもの、構って攻撃に負けて一緒に遊んでいることが多かった黒猫だが、今では男の傍で丸くなる生活に戻っている。そうなるとケンカ中の白猫は男に鼻キスすることもできない。
 そこで甘えたがりな子がとった行動は、僕に懐くことだった。鼻キスを受けたときはいつものご飯の催促だろうとドライフードを持ってきたけれど、皿に開けてもじっと僕を見上げたままだった。目を合わせたまま首を傾げ、試しに頭をそっと撫でてみたら気持ちよさそうに目を細めた。あまりの可愛さに呻き声が洩れた。
 いつも黒猫の後を追いかけていたけれど、今度は僕の後ろに着いて回るようになった。親子みたいで嬉しい。おもちゃで一緒に遊んだり、ツメを切ったりとスキンシップが増えると、僕の膝の上で丸まって寝てくれるようになった。大きな進展に感動していると、肩に黒猫を乗せた男は、へぇぇーはぁぁーほぉぉーっと厭味ったらしい声を上げた。僕は自慢気に白猫を撫でて見せつけてやった。口を大きくへの字に曲げて顔を背けられた。
 猫同士が不仲になるのに合わせたように、人間同士にも微妙な気まずさが生まれた。白猫が懐いたことによる嫉妬が原因だと思っていが、どうやら魔が差さしたキスの方が問題だったらしい。
 キスをしたときはなんとも思わなかったけれど、後になって一度では足りなかったというか、唇を重ねている間は物凄くしっくりきたというか、ようは再びしたくなったのだ、僕は。
 男が黒猫におもちゃを振るっているときに、少し距離を空けて座る。猫を相手にしているときは、猫が大人しくしていれば、あちこち動き回ることはない。黒猫の機嫌を損ねないように、毛並みに埋もれることのない青い宝石みたいな眼を見つめながらゆっくりと距離を詰める。黒猫が逃げると彼に責められるのだ。
 無事に真横に座り彼の顔を覗き込むと、やっとこちらの真意を察した。表情に緊張が走る。顔を近づけようとした途端、男は黒猫に腕を伸ばした。僕の眼を真っ直ぐに捉えたまま、猫の項に唇をうずめて退く。
 別の機会を狙うことにした。
 洗濯を待っている間や食事中、また昼寝をしている瞬間を窺ったのだが、近づくと眼を猫そのもののように大きく開き、毛を逆撫でて逃げる。あれは人間の動きではなく本能で危険を察知した動物の行動だ。忍び寄る僕から、そんなに邪悪なオーラが出ているのだろうか。
「ねぇ、キスしたい」
「アホ抜かせ」
 いきなりキスをしようとするのが悪いのだろうかと反省したのだが、正面からお願いしても断られた。
 この調子では、ふらりと現れたようにふらりと消えてしまうかと懸念したが、未だに足も影も腰もこの家に落としている。彼はどういうつもりなのだろう。
 しばらく黒猫組と白猫組に別れた生活をしていたが、白猫がまず音を上げた。距離は空けたまま、みぃみぃと切ない甘えた声を上げた。黒猫は一瞬だけ動きを止めたが、すぐに丸くなって無視を決め込んだ。意地を張る黒猫を、男はあっさりと裏切った。白猫がアピールしていたのは黒猫相手であったようだが、男が手を伸ばすと喜んで頭を差し出した。いつものように碧の眼を細める。そもそも男と白猫は冷戦でもなんでもなかったのだ。黒猫は不愉快そうに尻尾を撓らせて、薄眼で観察している。僕に乗り換える? と訊いてみたら眠ってしまった。
 白猫は僕と男の間を行ったり来たりするようになった。甘えたがりな白猫はスキンシップをたくさん受けられて幸せそうだ。今では僕にもだいぶ懐いてくれて、身を擦り寄せてくることも多い。この子なら僕と彼の架け橋となって繋いでくれるかと期待したが、男の防壁は高かった。男と一緒に撫でようとしても猫を抱いて逃げてしまう。口もあまり利いてくれない。逃げるのに居座るなんて生殺しだ!
 人間達はこんな様子なのに、猫達の方はさっさと仲直りしてしまった。白猫は諦めもせず甘えた声を上げ、顔を近づけてはそっぽを向かれていたが、黒い毛並みの胴体に鼻先を突っ込んで構ってと主張し続けた。黒猫もここまでされては無視はできないと、頭突きをするように応えてやった。鼻で大きな溜め息をつく。白猫はそんな対応でも嬉しそうで、やたらと体を擦り寄せた。
 仲直りしてからの方が蜜月は濃くなった気がする。白猫は僕の手よりも男の足元よりも黒猫の傍にいることが一番多くなった。僕は再び手持ち無沙汰になったが、男はいつものように餌をやった。
 いつもと違う餌を用意した日があった。大きなお徳用のドライフードではなく、小振りな缶詰だ。黒っぽいシックな赤地に金色の文字が印刷されており、一目で高級な品だと判る。僕がいつも食べているドーナツよりも高いかもしれない。
 パキュッ、キュルルル。
 缶詰を開ける音に二匹とも反応した。どちらも缶詰の味を知っていたのか勝手に集まってくる。立ち上がって缶詰の中身を覗き込もうとするほどだ。待てと言っても猫は言うことを聞かない。男は仕方なく立ち上がって準備をする。白い餌皿に空けた途端に二匹の頭がそこに突っ込んだ。一瞬で無くなってしまいそうだ。男は同じシリーズで違う味の缶詰を新しく用意する。
「どうしていつもと違うご飯なの」
「今日はこいつがワイん所に来た日やねん」
 さっっさと皿を舐め尽くし、早く次を開けろと眼光で訴えてくるのを無視して、褐色の手は黒い毛並みを撫でる。黒猫は呆れた溜め息を吐き出す。キミのお祝いなんだよと教えてやったが、どうでもよさそうだった。
 緑色の缶詰も開け、皿に移すとまたすぐに二つの頭が突っ込む。オンドレは得したなと、食べるのに夢中な白い頭を撫でる。
 閃いた僕はテーブルの傍に置いてあるお菓子カゴからポッキーを取り出す。彼はお菓子を滅多に食べないからほぼ僕専用だ。
 パッケージを開きポッキーの先端で男の頬をつっつく。振り向いた男は鬱陶しそうにして無視をするが、白猫のようにしつこくしているとポッキーを咥えた。そのまま威嚇の形相で根本まで食い尽くす。すぐに猫の相手に戻ったので新しいもう一本でつっつく。また咥える。そんなやり取りを数回繰り返す。最後の一本は食べ切られる前に、持っていた手を離して代わりに咥えた。順調に近づいていた顔が止まる。久しぶりにじっと見つめ合う時間が生まれた。ここで僕のほうから距離を詰めたら絶対に逃げる。ここは判断を任せるしかない。
 しばらくにらめっこ状態が続いたが、黒い目は泳ぎ、瞼を強く瞑ると一口進んだ。おっ、と期待すると、喜びを実感する前に彼はゴールした。つまり、僕と彼は二回目のキスをしたのだ。
 こうして僕達の関係も修復し、以前よりも親密さが増した。もう逃げなくなった男が猫を可愛がるすぐ傍に僕も腰を下ろしてにこにこと笑って肩に頭を預ける毎日だ。ダイヤモンドダストが光を反射しているみたいに空気はきらめいている。僕は彼の手を握る。
 僕達が仲良くなりすぎたことに物申すと立ち上がったのは黒猫だ。飼い主が取られて嫉妬したのか、青い瞳でじっと睨みつけてくる。僕だけをだ。睨んでいるのは僕の勘違いじゃないかと淡い希望を持って手を伸ばしてみたが撫でさせてはくれなかった。猫パンチはなかなかに鋭い。
 僕が彼の隣にいると近くに座って必ず睨んでくる。白猫が構って欲しいと胴に鼻先をめり込ませてもだ。男はこの自体を重大視していない。むしろ自分を好いているからだろうとご機嫌だ。仲を取り持ってもらうのは不可能みたいだ。僕は背中を丸めて目線の位置を低くする。それでも黒猫より少し高い。距離が縮まると黒猫の目つきは明らかに険しくなり臨戦態勢だ。噛みつかれても引っ掻かれても、彼は猫の味方をするだろう。それは悔しい。
 先制攻撃を食らう前に、僕はちゅっと黒猫にキスをした。瞬きよりも短い刹那の触れ合いだ。にっこりと僕は微笑む。黒猫にとってこの反応は想定外だったらしく、睨むのを忘れて惚け、我に返るとぴゃーっと走ってチェストの角に隠れた。姿が完全に消えたと思ったら、顔だけを出して不穏なオーラをこちらに飛ばしてくる。置いていかれた白猫が追いつくと、顔の皮膚が変形するぐらい頬ずりをした。僕は笑う。席を外していた男は猫をいじめたのかと怒る。
 黒猫はそれ以来、僕のことを警戒するようになってしまったけれど、彼と仲直りができたように、いつか和解できるだろう。頭を撫でさせてくれて、僕の手からも餌を食べる。その日を夢見ながら、僕は今日も黒猫にちょっかいを出して、白猫を可愛がり、彼の隣に座る。
 お昼寝の時間には、まず彼が一番端に眠り、その隣は譲らないとばかりに黒猫が同じポーズで寝て、当然のように白猫がそれに寄り添う。家族の昼寝みたいな光景にひとしきり笑ってからブランケットを広げて僕も家族の一員になる。
 僕が暮らしているのは、そんな猫のいる生活だ。
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