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 地図で確認したら一番近かったという理由で目指した街は、小さい割には活気と清潔感があった。依頼を持たない巡回牧師はまず教会を探す。通りすがりの人間に尋ねれば、みな足を止めて同じ場所を指さした。信じて進めば街の中央に一つ、立派なのが建っていた。白い壁によく磨かれたステンドグラスが嵌め込んであり、陽光を浴びた様を内側から見上げれば、さぞや美しい主の姿が拝めるだろう。少年聖歌隊が練習をしているのか、声変わりする前の透明な天使の歌声が、オルガンの調べに乗って空に広がる。だが牧師とは宗派が違う。別の教会を探した。
 街では市が開かれていた。路面に堂々と青果や加工肉が露出され、笑い声と共に売買されている。強盗に警戒している雰囲気はない。良い街なのだろう。
 牧師が求めた教会は、繁華街を外れ、空き家が乱立する地域の隅っこにあった。外壁は経年劣化で罅が入っている。屋根の色も褪せていた。
 トンッと木製のドアを軽く指先で突いてみた。蝶番が耳障りな音を立てる。外から伺う限り挨拶の必要はなさそうだ。電気は点いておらず、窓が四角く切り取った陽光も鈍く暗い。ガラスが曇っているのだ。ドアから最奥の十字架まで赤い絨毯が真っ直ぐに伸びているが、埃が積もっており威厳も華もない。いつから放置されているのか検討をつける手立ては持ち合わせていないが興味もなかった。銃痕など荒らされた形跡はないから、ここで神に仕えていた牧師が病死とか老衰とかくだらない理由で平和にこの世を去って、その後もここを管理する人間がいなかったというのが大方のところだろう。
 埃とカビの臭いが混じった中を進む。薄っぺらい絨毯だが埃が手伝ったのか足音はしなかった。どうせ嗅覚はすぐに麻痺する。一番前の長椅子も床と同じように汚れており、少し悩んだが、払うことはせずにそのまま腰掛けた。仄明るい宙へ埃が億劫そうに舞う。風ぐらいは凌げそうだ。
 背負っていた巨大な十字架を隣に立てかけ煙草を取り出す。マッチを擦る音が大きく響いた。手元だけが明るい。火を灯すと煙が肺に馴染む。
「誰だ!」
 若い声にのんびりと振り返る。ドア付近に男が建っていた。逆光で顔は見え難いがおそらく二十代前半といったところだろう。可哀想に、銃を持つ手が震えている。牧師はそうするのが定石だからという味気ない道理で小さく両手を上げた。
「牧師や、巡回牧師。さっきこの街に着いたばかりなんや」
 揺れる銃口はこちらに向けられたままだ。ひどく面倒だったが、不要な騒ぎを起こして野ざらしの只中を一晩を過ごすより、この身の潔白を証明することは無理でも誠意ぐらいは表した方が得策だ。牧師らしく敬虔に、抑揚のない調子で聖書の一節を諳んじる。
「私達の多くは力もなくお金もなく、地位名声もなくこの世を変える力もなく、まして人を変えることもできません。しかし私達は、これらとは比べ物にならないある能力を神様から与えられています。それは愛するという能力です。愛は全てを凌駕します」
 銃口の震えはしばらく止まらなかったが、ほどなく深呼吸と共に下ろされた。男の顔は緊張のせいか汗が滲んでいた。
「すまない。ここには金になるものなんてないんだが、知らない人が入る姿があったからつい。許してくれ」
「始めから気にしとらんよ。それが普通の反応や」
 男は絨毯を歩き始めた。後ろめたいことでもあるのか覚束ない足取りだ。正面の十字架を見上げながら語りだす。
「ここは元々信者が少なくてね。所有者のいない完全な廃屋だ。でも取り壊しなんてしたら神様に罰せられそうだろう? だからずっとこのままで、今じゃもう誰も来ない忘れられた場所なんだ」
「そしてオンドレは、忘れ物でも取りに来たんか?」
 小銃ならいつもの場所に入れている。抜いてトリガーを引くまでは一瞬だ。目の前の頭部が真っ赤な死花を咲かす様を夢想する。
 だが男は気まずそうに目を逸らすだけだった。隠し事が下手すぎる。悪事には向いていない。煙草の灰をその場に落とす。
「まぁ、余所者のワイには関係あらへんことやな」
「遅れてごめんなさい!」
 背もたれに体重を預けた途端に今度は女の声がした。廃屋のくせに喧しい場所だ。
 二人分の視線を集めた女は状況を理解するのに一瞬を要し、口に手を当て牧師に怯える。
「えっと……こちらの方は……」
「巡回牧師さんだよ。さっきこの街に着いたばかりそうだ」
「牧師様……?」
 女は不安そうに男へ眼だけで縋る。牧師は煙草を床に捨て、踵で火を消した。
「そや。せやから今日だけはここで神サンの前で恥さらすんだけは遠慮せぇ。身銭が少のうて、ワイも宿代が惜しいんや」
「恥って……僕らはここで逢引してたわけじゃありません」
「別に誰にも言わんて」
「私達の話を、聞いていただけますか?」
 女の表情は切実だった。胸の前で殊勝に指を組む。清純な娼婦は珍しくない。牧師は嘲るように小さく笑った。
「懺悔なら聞いたるで。それは聖職者の仕事やからな」
 女は男の元へ駆け寄る。その両肩に男が後ろからそっと手を乗せる。退屈そうに牧師が新しい煙草を咥えると箱の中は空になった。それを二人の顔につきつける。察しの悪い二人のために何度か箱を揺すると男がようやく財布を出した。コインを出したが穴が小さいことに気づき、一番安い紙幣を四つ折りにして捻じ込んだ。まいど、と呟き火を灯す。
「私は明日、結婚するんです」
「そらぁおめでとうさん」
「だから今夜、ここで私達は結婚式を挙げたいんです。よければその式を、執り行ってくださいませんか」
「嬢ちゃん説明下手くそやな」
 話を打ち切ろうとする前に、男が一歩踏み出す。
「彼女は明日、僕以外の人と結婚するんです」
 女の父は大病を患っていると言う。母は数年前に他界しており、今は彼女が一人で働き看病する他ない。体力的にも精神的にも負担は大きかったが、一番の問題は医療費だった。生活するためには治療を諦めるしかない、治療を諦めたら父親は死ぬ。彼女は苦渋の決断を迫られた。しかし信心深い彼女に神は救いの手を差し伸べた。金満家な青年の姿になって。
 青年は財力だけではなく、優しさも人望も兼ね備えていた。青年は女の手を取り結婚を申し込んだ。これは同情じゃない。家族を大切にするあなたとなら、幸せな家庭を築ける、未来を信じることができると思ったのだ。女は迷った。自分には愛する男がいる。だが神の手を選んだ。父を見殺しにした罪悪感は一生ついてまわるだろうと容易に想像できたからだ。
 よくある三文芝居だ。
「相手も素敵な方です。きっと他の人達は、恵まれた結婚だと口を揃えて言うでしょう。私もそう思います、選んだ道は間違いではないと」
「男の方は? それでええんか」
 すぐには答えなかった。視線は彷徨い躊躇がはっきりと見て取れたが、やがて頼りない笑顔を浮かべた。
「はい。彼女の父を助けられる力を僕は持っていません。それでも彼女を幸せにできる自信はないんです。だけどせめて、気持ちだけは本物だと証明したいんです。今夜の式は二人だけで行うつもりだったんですが、牧師さんが立ち会ってくださるのでしたら、僕からもお願いをしたいです」
「さよか」
 牧師は教会の十字架を見上げる。
「…………普段は結婚式の依頼は断っとるんやけど、オドレらのは引き受けたる。ここで待っとるさかい、抜け出せそうになったら来ぃや」
「ありがとうございます!」
 二人は深く頭を下げ、顔を見合わせ小さく笑うと寄り添って教会を出た。
 十字架を見上げ続けていた牧師は煙草の熱を鼻先で感じ吐き捨てた。長椅子に横たわる。天井は低く蜘蛛の巣が張っていた。牧師は眼を閉じ、夜までの仮眠をとった。



 電気の通っていない教会は沈んだように暗い。五つの月が降ろす青白い光はガラスの曇りを掻き分け、なんとか室内を照らすが心許ない。暗闇はあらゆる物を隠し美化する。長椅子を蹴ると埃が舞い上がり、月光を反射して宝石のように輝いた。
 ドアが開いた。最初に来たのは男だった。王者の足取りで絨毯を踏み、十字架を見上げて止まる。神を敬愛している者の眼だ。
「ずっとこの日を待っていました。仮初めとはいえ、彼女と結ばれるこのときを」
「今なら、一緒に逃げられるとちゃうん?」
 男は俯き左右に首を振った。眼球が月光を鈍く反射する。
「逃げるだけならできるでしょう。でも僕には彼女と子供の笑顔がある、幸せな未来は見えない」
 神に成り損なった男は幸せの意味を問わなかった。愚かな人間が更に愚かになる機会は完全に失われた。我らが主が降ろす明かりは月光より儚く、赤い絨毯を男に気づかせることはなかった。
 月が雲に隠れる頃に女はやってきた。昼間より幾ばくか上等な身なりだ。生成りのワンピース姿で、同じ素材で作られたベールを手にしている。眉尻を下げ女は笑う。
「母が私に残してくれたものよ」
 女は男の隣に並んだ。男はベールを被せてやった。月光が宝石のように二人を輝かせる。牧師は正面に立った。聖書は埃だらけだったが中はさほど傷んでいない。牧師らしく抑揚を殺して朗読する。若い男女は瞑目し、聖職者が与える言葉が命綱であるかのように縋り付いた。
「新郎、あなたはこの女を妻とし、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか」
「誓います」
「新婦、あなたはこの男を夫とし、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか」
「誓います」
 小さな教会だと思っていたが、ゲストがいない今は寒さを感じるほど広かった。何列にも並べられた長椅子にはゴーストすら座っていない。音楽も照明もないこれは、質素や略式なんてものですらない、ただのマネゴトだ。それでも二人は痛ましいほど真剣だった。神はこの誓約を正しく聞き届けているのだろうか。
「誓いのキスを」
 男がベールを持ち上げると女の瞳は濡れていた。壊れ物を扱う手つきで白い頬に指を添え、唇を重ねる。二人は口吻で時間を止めようとしたが摂理には抗えない。やがて惜しみつつ離れた。代わりに額を合わせる。日が昇れば月光は隠れるとも知らずに。
 牧師は自分の役目を終えたとばかりに背を向け、長椅子に腰掛けた。若い夫婦が頭を垂れる。
「ありがとうございました。これで僕達に悔いは残りません」
「さよか」
 素気ない返事に夫婦はもう一度深く頭を下げ、口吻し、手を取り合って教会を出た。月光は朽ちた教会内を幻想的に凍らせる。すべて偽りだ。
 煙草に火を点け煙を広げる。薄く紫がかった膜は教会の十字架を朧に覆った。牧師の溜息はそこまで到達しない。
 しばらくして女だけが戻ってきた。ベールで顔を隠し、牧師の前に膝をつく。問う前に両手を祈りの形に組んだ。
青ざめた指は死人に等しい。
「牧師様。最後に一つだけ懺悔をさせてください。私はこれから重大な罪を犯します」
 女の声も手も震えていた。もう新婦ではなかった。牧師は告解しなさいと冷静に促した。女は口を開き、躊躇い、沈黙を積み重ねる。煙に覆われた十字架が聞き耳を立てる。
「私は、明日、二番目に好きな男性と結婚します。二番目に好きな男性の元で、一番目に好きな男性の子供を産みます。二番目に好きな男性の子供として。その事実は誰も知りません」
 牧師の鋭い視線が女の頭部を射抜いた。女はただ震え続ける。
「もうおるんか、腹に」
 答えはなかった。煙草の火を長椅子で捻じ消し、職務を思い出した冷静な声で告げる。
「そのことは誰にも言ってはならない。一番目の男にも二番目の男にも子供にも。明日、二番目の男と寝なさい。そしてその時の子供として育て続けなさい」
 泣きじゃくる声が反響する。慰めの言葉はかけなかった。どれだけ絶望しても明日は来る。すべてを詳らかにする陽光から逃れるには、自ら影を作ってそこに真実を押し込むしかない。さもなければ無残な死骸になるだけだ。
 やがて静かになり女は去った。
 誰もいなくなった教会で、牧師は一人瞼を閉じる。


 陽光が直接降り注ぐバス停に牧師は大きな十字架を背負って並ぶ。猫があくびをし、遅れてホットドック屋も大口を開けるほど呑気だ。この世に不幸など何一つないと鳥が囀る。
 街の中心にある教会がベルを大きく鳴らした。
 白い衣装姿の花婿と花嫁が、大勢のゲストから祝福の拍手を受けていた。ライスシャワーが飛ぶ。幸せそうな花婿の隣で、花嫁は眉尻を下げて笑っていた。抱き上げられ、愛の口吻を受ける。歓声が沸いた。
 牧師はやってきたバスに乗り、振り返ることなくその街を出て行った。
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