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「あの子もそんなものやるような歳になったんだねぇ」
 後ろからメラニィさんの声がした。話しかけたのか独り言なのか曖昧な声色で、僕がお供えした酒ビンと煙草を見下ろしている。寂しそうな苦笑。この人は今の彼を知らず、僕の知らない彼を知っていたのだと今更ながら気づく。もし彼が生きていたら揶揄を半分こめて幼い日のことを訊いていただろう。僕に怒り、メラニィさんにいらないこと言わなくていいと口止めするに違いない。
「部屋の用意ができたよ、って呼びに来たんだ」
 今度はしっかり僕に眼を合わせた。ご飯ができるまで休みなと建て直しされた孤児院の中へ案内される。当たり前だけど僕には見覚えがない。彼だったらどこが新しくなったとか、あそこは昔のままで懐かしいとか教えてくれただろうか。
「ヴァッシュさん」
 リヴィオに呼び止められた。小さな笑顔は記憶しているものと変わらないのに、髪がかなり伸びていて戸惑う。
「あの、これ」
 ノートを差し出され息を詰める。断片的にいくつかの日がフラッシュバックし、喉が急速に干からびた。舌が張り付き喋りにくい。
「これ、どこにで見つけたの」
「酒棚で」
 酒とグラスの用意をしたのは彼だった。その隙に置いたのだろうか。
 ゆっくりとノートに手を伸ばす。触れるのが怖かったが、消えることなく確かな質感を伝えてきた。乾いてパリパリに硬くなった紙。昨日のことのように思い出せる。
「リヴィオー、サボってないで手伝ってよー」
 奥から出てきた子供たちがリヴィオの手を強引に引いた。二人がかりの力は相当強かったらしく、大きな体がわずかによろめいた。はにかむリヴィオは嬉しそうだ。
 だが本当にその手を引かれるべきだったのは、
 僕は案内された部屋へ急いだ。
 用意された部屋は簡素ながらちゃんとベッドが備えてある。いつ家族が帰ってきてもいいようにと、この部屋は常に空いているらしい。
 荷物を隅に下ろしテーブルにノートを置いた。椅子に腰掛け、息を止めるように大きく深呼吸して慎重に開く。
 一ページ目の最初に書いてあった言葉は『ラブ&ピース』だった。
 何の話をしていたときかは覚えていないが、彼は読み書きができないのだと告げた。別段それを恥じている様子はなかったが、レムから教えてもらった日々が懐かしかったのもあり、ノートとペンを買った。彼も申し出を断らなかった。
 真っ先に『ラブ&ピース』を教えたとき、口を盛大にへの字に曲げて不満を隠さなかった。それでも彼はペンを放ることをせず、罫線を無視してデカデカと書いた。
 箸は器用に使いこなせるくせに、ペンは幼児のようにグーの形で力いっぱい握り締めた。おかげで高すぎる筆圧は安定せず、文字は下手を通りすぎて解読を要した。力が強すぎてペン先を潰すことも多々あったが彼は満足そうだった。
 次に教えたのは彼の名前だ。対面すると文字が逆さになるからと、後ろから抱き締めるようにして教えた。鳩尾に肘鉄を食らう覚悟ぐらいはしていたが、顔をしかめる程度でいたずらなど意に介さず真剣に取り組んだ。顔面に裏拳が放たれたのは悔しくて耳をかじったときだ。そのときの僕は幸せを噛み締めながら昏倒した。
 ページを捲る。
 二ページ目は教えて欲しいと請われた名前が連なっている。僕の知らない名前の隣に『食い過ぎ』『手伝え』『一人でトイレ』など並べられている。『リヴィオ』の隣には『泣き虫』とあった。
 この頃の僕はまだリヴィオのことを知らなかったのか。
 『メラニィおばちゃん』は『ありがとう』だった。彼がここにノートを残したのは手紙のつもりだったからだろうか。
 一番下には『ゴッドブレスユー』とひときわ大きく書いてあった。
 三ページ目の上の方には『マイスイートハニー』とあった。これはヴァッシュはこう書くのだといたずらのつもりで教えた言葉だ。長いなと呟いただけで素直に信じた。このジョークは最悪の形でバレた。
 街に着いたとき珍しく彼が宿屋を探すと言い出した。宿泊するにはもちろん宿帳に記名する必要がある。彼はきっと覚えたての名前を書きたかったのだろう。宿屋の主人は半笑いで指摘したに違いない。買い物を済ませた僕が宿屋に着くなり、パニッシャーの梱包を解いて躊躇うことなく発砲した。その後本当のスペルを教えようとしたのだが彼は頑なに断った。
 よっぽど腹立ったのだろう。そのページの後半は『トンガリのボケ』『トンガリのアホ』など罵詈雑言が書き散らしてある。力任せに書き殴ったのかインクの飛び跡さえある。幼稚な単語ばかりなのはそれしか知らなかったからだろう。つい笑いが洩れる。
 ページを繰ろうとして、手が小さな文字を隠していたことに気づいた。
 視線と息が、そこに吸い込まれる。
「なん、で……」
 ポタリ、と涙が紙に落ちてテーブルを掴み椅子ごと体を引いた。彼の残したものを歪めたくない。喉が引き攣り、涙が膝に染みを作るがすぐに見分けがつかないぐらい視界が歪む。
 キミがこの文字を書けるはずはないのに、いつどうやって調べたの。
 とてもとても小さくて悪筆な字で『ヴァッシュ』と書いてあった。
 誰かに訊いたのか、それとももう剥がされた手配書を探したのか、どうして書こうと思ったのか。質問はいくらでも出てくるのに答えは返ってこない。
 テーブルを握り締める指先に力がこもる。
「僕の名前をちゃんと呼んだこと、ほとんどなかっただろ」
 たった一言でいい。僕の名前の隣に何を書くつもりだったのか教えてくれ。
「ウルフウッド」
 キミが、過去にならない。
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