二振り目以降のへし切長谷部を贈りたい。彼は改まってそう言った。正座し、膝の上に拳を乗せる真剣さである。光忠は自身の洗った衣服を畳みながら、判った、と首肯した。
 時空の歪みを利用して刀剣を呼んでいるため同じ刀は幾つも集まる。だが魂は一つだけだ。同じ刀を同時に受肉させることはできない。つまり、顕現させるには不充分な刀が蓄積する。
 その事自体は珍しくない。長谷部は出陣する度に自身の刀を見つけて持ち帰った。それは両手で抱えなければならない程の量であり、その山は体の半分を隠した。主の元へ帰還の報告に参ずる姿は、果たして前が見えているのだろうかと他の刀剣達の口に上った。時折、一振り二振りと収穫した自身を落としたが、器用に足で蹴飛ばし抱えている山に戻した。
 迷惑を被ったのは光忠である。出陣の度に大量に持って帰る物だから、溢れる前に連結しなければならなかった。光忠の能力はもう連結では伸びない。無意味な行動である。だが受け取ると言っただろうと長谷部は頑として譲らず、無意味な行動を繰り返すことになった。五振り揃えては連結、五振り揃えては連結を素早く行わなければ、連結部屋から刀が溢れた。廊下に転がる刀の長谷部が邪魔だと文句が飛んだりもしたが、長谷部は意に介さず別のへし切長谷部を持って帰った。光忠はひたすら連結した。量が多く、食べ過ぎで吐き気を催したが、長谷部が満足するまで連結は続けられた。幾つ取り込んだのかは判らない。百振り目辺りまでは数えていたが、それから先は面倒になってやめた。
 人間には、自分の手料理だけを与えて相手の細胞を総て書き換える性癖の持ち主がいると聞く。にっかり青江の言葉を借りるならば、僕色に染めるという行為なのだろう。長谷部のこれもその性癖と等しいのだと思った。嬉しいが迷惑でもあった。食べ過ぎで床に這いつくばり、目を回す頃になってようやく長谷部は満足した。腰に手をあて鼻から充足の息を吐き出す姿に、野次馬達はやれやれと言いながら解散した。光忠は目を回し続けた為、大倶利伽羅が看病をした。
 復活すれば刀剣男士の役目に戻る。光忠は他の刀達と共に出陣した。長谷部に行ってくるねと口吻をし、手を振ってのお気楽な出立であった。だがお気楽に帰してくれないのが検非違使である。遠戦が終わるや否や槍が光忠の体を貫いた。続いて太刀にふっ飛ばされ散々である。近くの大木に背中をぶつけ、重い体はずるずると地に落ちた。ごふっと口から血を吐く。損傷は大きいが立たなければならない。この右手はまだ自身を握っている。
 だが立ち上がる前に腹がむず痒くなった。心なしかその箇所が光っているようである。自身の体を怪訝に眺めていると、そこから五振りの刀の柄が生えた。赤い柄巻に落ち着いた金の鞘。それらは勝手に鞘から抜け出し、五振り同時に一体の敵を圧し斬った。まるで達磨落としを作っているようだなどと場違いなことを、光忠はぽかんと口を開けて思った。
 城に残って書類仕事をしていた長谷部は、右腕が痺れていることに気づいた。書き物をするのに支障はない。両の口角をにんまりと持ち上げる。
「天下を取ると決めた男の刀だ。その執念を侮るのはやめて貰おうか」
 戦が終わると五振りのへし切長谷部は地に落ちた。もう勝手に動くことはやめたようである。へし切長谷部は刀剣のみでも身勝手だ。これを持ち帰ってまた連結しなければならないのだろうかと、光忠は重傷の体を起こすことなくそう思った。
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 空は白いが行灯がなければ手元は心許なく、うつらうつらと船を漕いでいるような雨だった。
 役目を抱え込む癖を持つ近侍の部屋に押しかけ勝手に手伝いをしていた。雨の殆どは雑草が吸い込み、大きな雨粒が時折岩に跳ねる以外は音もなく、自分の呼吸が聞こえるような静けさだった。
 この雨は止むだろうか。今日中には無理だろう。ぽつりと洩らした独り言に返事があった。部屋の主は筆を動かしたまま顔を上げずにいる。ならば賭けをしよう。生真面目な彼を少し揶揄ってみたくなった。
 あの短くなった蝋燭が消えるときに止んでいたら僕の勝ち。降っていたら君の勝ち。それで何の得がある。そうだな、そのとき食べたい物でも奢ってもらおうか。まだ店もやっている時分だろう。部屋の主はやはり筆を止めぬまま、判ったと淡白に請け負った。黒い手袋が障子戸を閉める。
 それぞれの作業を進める。紙の捲り、墨の磨り、硯に筆を置く、畳の軋み、背骨の関節の鳴き、乱雑な本の重ね。生きているんだか死んでいるんだか判然としない空気。細々と続く人の器の動き。床に広がる寒さ。
 ささやかな音で満ちていた部屋が、ふっと灯りを失った。二人して硬直し息を詰めて辺りの気配を探る。音が一切途絶えた。
 蝋燭が消えただけだ。先に思い出したのは提案した側だ。さぁ、外はどうなっているか確かめようか。焦らすようにゆっくりと障子戸を開ける。
 空はまだ白い。岩は濡れている。雨が宙に引く線はどうなっている。賭けの勝敗は。
 後ろから目隠しをされた。一つの手で両眼を塞ぎ、もう一つの手は顎を捉える。離す気など毛頭ない頑固さ。
 雨は上がっていない、俺の勝ちだ。褒賞は逃げずここに残ってもらおうか。
 やはりつまらなそうな声。
 目隠しされたまま含みを宿して笑う。常の清涼さはどこへ行った。室内が淫靡に湿る。
 雨音は聞こえないよ。
 貴様の鼓膜は破れているのか。
 耳の中に舌がねじ込まれる。水音が背骨を這い、仰け反る。顎を捉えていた指は、いつの間にか手首を拘束していた。
 俺の意に従って貰おうか褒賞よ、その眼を閉じろ。
 耳元で低く囁く声はもう淡白さを失い残酷に笑った。障子戸が閉ざされる。敗者は餌となり胸の中へ。耳朶で遊ぶ舌が鳴らす水音。
 さぁ、雨隠りを愉しもうじゃないか。
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