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 それはわたしが六歳だったころの思い出。神様に祝福された幸福な時代。

 理由は覚えていないが、わたしは一人、その屋敷に預けられることになった。わたしの家庭はそれなりに裕福で友人に自慢できるほどの大きな家であったが、その屋敷はわたしの家をはるかに凌駕していた。
 真っ白な外観、アールヌーヴォー調のバルコニー、薔薇の庭。陽光を浴びて輝いていた。美しいお姫様が住んでいるお城のようで強く嫉妬した。だがその屋敷にいたのは、若い男の主と、同い年ぐらいの住み込み執事と、数人の通いで来ている使用人だけだった。
 わたしはその屋敷でお嬢様と呼ばれた。執事や使用人からは純粋に、主からは揶揄をこめて。主にとって、生意気なわたしは異分子だったのだろう。
 だが執事は丁寧に接してくれた。その男は背がとても高く髪も金色に染めているため腰までしか背丈のないわたしは畏怖の念を持って見上げていたが、大きな手は優しく頭を撫でてくれた。服装に対する不満も彼が解消してくれた。その屋敷ではグレーのスーツとリボンがついているがツヤのない真っ黒な靴を身につけさせられた。ピンク地に大きないちごがプリントされたフリルいっぱいのワンピースと、赤いピカピカ光っている靴をお気に入りにしていたわたしにとってそれは憤慨する服装だったが、男が髪を梳き、赤いゼリーのような飾りゴムで結わえ、かしずいて靴を履かせてくれると不満は簡単に収まった。
 わたしはすぐに懐いた。彼のあとをアヒルの子のように追うのが好きだったが、中でも一番好きなのは厨房で接することだった。大きな手は何でも作った。雲のようにふかふかなホットケーキ、バニラアイスを乗せたサクサクのアップルパイ。子供扱いされるのが嫌でコーヒーを頼むと、苦笑しながらミルクをたっぷりと入れた甘々のカフェオレを出してくれた。
 動く好奇心だったわたしは悪さをしないように、大きな冷蔵庫の上に座らされることも多かった。めったに見れない高い視点はすぐに気に入り、足をブラブラとさせながらも大人しく色んなものを眺めていた。ガスコンロ、作業台、ジャガイモの芽を取り除く手、肩、つむじ。冷蔵庫の上なら根元が黒髪になっているのもすぐに判った。クスクス笑うと、いたずらするなよ、と見上げられてますます嬉しくなった。
 困らせることもした。庭に干された大きなシーツが乾いたことを確認すると芝生の上に広げて寝転んだ。洗濯物を台無しするなとよく怒られたが、小突く手は温かかった。
 主と執事が単なる主従関係でないことにも気がついた。執事の敬語が崩れたり、主が柔らかく触れたりしていた。曖昧な雰囲気。主は恋仇になった。
 主の方はすこし、意地悪だった。芝生に広げたシーツでうたた寝をしていると毛虫を寄越したり、夜にオバケの話を聞かせたりして笑った。悔しくて悔しくてたまらなかったが笑い顔を思い出して気づく。あれは彼なりに異分子と和解しようとしていたのだろう。
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 甘さ控えめのぬるくなったココア。
 つけっ放しのテレビから、新しいドラマのCMが流れる。
 白いワンピースを着た女優。クローズアップされた片手の小指には赤い毛糸が結ばれていて、
 白いシャツを着た俳優の片手にも、赤い毛糸が結ばれていた。

 運命なんて不確かでしょう?
 呆れる俺の手を、君が引く。

 外した蝶ネクタイを引いた小指にぐるぐる。
 これで我慢しろと言わんばかりの君の鼻息。

 俺は悪態をついて、膝に顔をうずめる。
 蝶ネクタイの代わりに、自分の顔が赤い。


♂♀

 ピリッとした痒みに目が覚めた。
 枕に伏せていた顔を少しだけ上げ、痒い手を見る。
 小指の付け根にぐるりと一周、血が滲んでいる。

 ナイフを持って、小指の蝶ネクタイを自慢しているヤツ。
 悪戯というには凶悪な笑顔。

 怒りの裏拳を、紙一重でかわされた。



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